基源:ムラサキLithospermum erythrorhizon Sieb.& Zucc.(ムラサキ科Boraginaceae)の根。

 紫根は『神農本草経』の中品に「紫草」の原名で収載され,「味苦寒。主に心腹の邪気や五疸の病を治し,中を補い気を益し,九竅を利し,水道を通す」と書かれています。また『名医別録』では,「腹腫が脹満して痛むものを治療するほか,膏を作って小児の瘡および顔のできものを治療する」と,外用することも記されています。しかし,古来紫根は薬用としてよりはもっぱら染料として用いられていたようです。中国で紫根が薬用として定着するのは宋代になってからのようで,蘇頌は「急性熱病で発疹すべきが不十分な場合などに使用する」と記しています。これは麻疹(はしか)のことであると思われ,中国では現在も麻疹に用いられています。

 原植物のムラサキはわが国にも自生しています。一方,ムラサキによる染色方法は中国から朝鮮半島経由で伝えられました。以来,わが国においてももっぱら染料としての価値が高かったことは,ムラサキが詠まれた万葉集収載の17首がすべて色や染料に関する歌であったことからもうかがえます。中国では古くから栽培が試みられ,6世紀の『斉民要術』にその栽培方法が記されています。しかし栽培は比較的困難で,わが国でも栽培されていましたが思うような品質の根が得られず,やはり野生品が貴ばれていました。

 わが国での紫根の薬用はもっぱら外用薬としてで,配合薬の「紫雲膏」がとくに火傷のクスリとして有名で,今でも多くの愛好家がおられます。「紫雲膏」は江戸時代末期に華岡青洲が,明代の『外科正宗』の「潤肌膏」を基に豚脂を加えて改良したわが国独自の方剤で,火傷のほか,凍傷やひび,あかぎれ,切り傷,湿疹などにも効果があります。

 さて,「紫根」には特徴的な紫色の色素が含有されているので,原植物は限られているように思われますが,実際には属が異なる数種が利用されています。この混乱は古くからあったようで,ムラサキの花は白色ですが,李時珍は「この草は花も根も紫だ」と記しており,明らかにムラサキに関する記事ではありません。また,清代に記された植物図鑑『植物名実図考』に記されているのは,やはりムラサキ科のOnosma属植物であると考えられます。現在市場には大きく「軟紫根」と「硬紫根」があり,名のごとく前者は柔らかくてもろく,後者は比較的硬い根です。ムラサキの根は後者で,前者は一般に同じムラサキ科のArnebia euchroma Johnst. の根であるとされますが,地方的には先に述べたOnosma属植物も使用され,李時珍が記したものはこれらのいずれかであったものと思われます。

 紫根の品質に関して,一色直太郎氏は「外部紫黒色,内部白色の,肉即ち皮部の厚いものが良い。薄いものは染料に用いるのみ」と云っており,硬軟については述べていません。ただ,わが国にはArnebia属植物は分布せず,もっぱらムラサキが利用されてきました。

 ところで,わが国に野生するムラサキは,今では「絶滅危急種」に指定されるほど減少しています。同じ薬用植物のミシマサイコよりも事態は深刻であるとされています。動・植物に限らず,多くの絶滅危惧種の減少のもっとも大きな理由は乱獲ではなく,その生息地の破壊だと言われています。ムラサキが生えるような日当たりのよい原野は,多くは宅地や工業地帯になってしまったと言うわけです。今や,自然からは万葉時代をしのぶことができず,ただ残された歌から想いを馳せるのみとなってしまいました。

(神農子 記)