基源:ヒメガマTypha angustifolia L., ガマT.latifolia L., コガマT.orientalis Presl.(ガマ科Typhaceae)の成熟した花粉を乾燥したもの。

 ガマは開けた湿地や池沼のほとり、休耕田などに多く生える単子葉植物です。わが国には上記の3種類が生え、外見は互いによく似ています。雌雄同種で、茎の先端に特徴的な花穂をつけます。先端には雄花が密集して黄金色の細長い雄花穂を作り、その下に多数の雌花が群生して褐色の太いソーセージ状の雌花穂を作ります。花は花被を持たず、雄花はおしべと毛からなり、雌花は子房と基部にある毛からなります。ガマは高さ1〜2mになり、葉の巾が約2cmで、雌花穂が緑褐色を呈します。コガマとヒメガマは全体にやや小型で、葉の巾は約1cm、前者の雌花穂は赤褐色で雄花穂と雌花穂が近接しており、後者の雌花穂は太さが約15mmと細くて雄花穂との間に花軸が露出していることなどで、3種は容易に区別できます。

 生薬としての「蒲黄」は、『神農本草経』上品に「甘平。心腹、膀胱の寒熱を主治し、小便を利し、血を止め、★血を消し、久しく服すれば身を軽くし、気力を益し、年を延ばし、神仙となる」と収載され、次いで「香蒲」が「甘平。五臓、心下の邪気、口中の爛臭を主治し、目を明らかにし、耳を聡くし、久しく服すれば身を軽くし、老衰を防ぐ」と収載されました。陶弘景は、「蒲黄」は花の上の黄粉であるとし、明らかに花粉であったことを示しています。一方の「香蒲」については、『新修本草』で「蒲黄は香蒲の花である」とし、『図経本草』でも「香蒲は蒲黄の苗である」としているように、両者は同一植物由来のようです。香蒲は医薬品と言うよりはもっぱら莚(むしろ)を編むのに利用されていたようで、「蒲団」の語源ともなっています。また、『新修本草』には莚としての利用の他、「初春には漬物や蒸し物にして食べる」とも記されています。

 さて、わが国では古来ガマは『古事記』に載せられた「因幡の白兎伝説」でよく知られている植物です。ワニ(サメ)を欺いたために皮をむかれて丸裸にされ、さらに大国主命の兄たちに海水を塗って陽にあたるよう教えられてひりひりと赤くなった皮膚に、後から通りがかった大国主命が清水で洗って「蒲黄」をつけることを教え、兎を救う話です。童謡では「蒲の穂綿に包まれば」とありますが、『古事記』には「蒲黄」とあります。ちなみに、「蒲の穂綿」とは雌花穂の果実が熟して先から長く伸びた糸状体が綿のように伸びたものをいい、古来詰めものに利用され、また硝石を混ぜて火打ち石による発火の火口にもされました。「蒲黄」と「穂綿」では成熟時期が異なりますので、大国主命が出雲に旅行した季節がはっきりすれば、どちらが利用されたか特定できますが、いずれ神話の中の話であり、ガマが古来薬用植物として利用されていたことにこそ注目するべきでしょう。

 蒲黄の原植物については、一般にはヒメガマが筆頭に充てられますが、これは花粉の量が多いからのようです。一色直太郎氏は蒲黄の品質について、「微かに特異な臭いがあり、全質一様に深黄色を呈し、顕微鏡下では単粒のもの」が良品であるとしています。ガマの花粉は4個が密着した複粒であり、他の2種では単粒であることから、コガマかヒメガマが良品質であることを示しているようです。「蒲黄」は古来「利小便、止血、散?血」の生薬ですが、破血、消腫に用いるときには生用し、補血、止血に用いるときには炒用することが『日華子諸家本草』に記されています。なお同書に蒲黄を篩うと赤色の滓が残る(これを蒲黄滓と言い,花芯や細毛で,別に渋腸止瀉血薬とする)と記されていることから、蒲黄の採集方法としては成熟花粉のみを振り落すのではなく、雄花穂全体を花軸からしごき取っていたものと考えられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

(神農子 記)