基源:ゴボウArctium lappa L.(キク科Compositae)の成熟果実。

 牛蒡子は,『名医別録』の中品に「悪実」の名称で収載されました。「味は辛・平。目を明らかにし,中を補い,風傷を除く」とあり,続いて「根や茎は傷寒による寒熱,汗出,中風,面腫,消渇,熱中を治療し水を逐う。久しく服すれば身を軽くし,老いに耐える」と記され,古くから果実のみならず根を含めた全草が薬用に供されていたことがうかがえます。だだ陶隠居が「方薬には頻繁に用いない」と述べているように,処方中に配合される機会は少なかったようです。昨今の中医学では薬用にはもっぱら牛蒡子のみが使用され,辛涼解表薬に分類され,咽喉の痛みを伴うカゼなどに応用される「銀翹散」や「牛蒡湯」などの処方に配合されています。

 原植物のゴボウは中央アジアの原産とされますが,この地域は古くから東西交易の主要ルートになっていたためか,ゴボウは東西に広がったようです。わが国でも福井県の鳥浜貝塚でゴボウの果実(痩果)が見つかっており,また青森県の三内丸山遺跡でも一粒が出土しているなど,ゴボウ渡来の歴史は古く,縄文時代にはすでにもたらされていたようです。ただ,こうした古い時代に,薬用あるいは食用としてそれほど重要ではないゴボウがもたらされたと考えることには慎重にならざるを得ません。ちなみに西洋にも古い時代にもたらされ,紀元前・後に書かれた『ディオスコリデスの薬物誌』や『プリニウスの博物誌』に掲載されています。一方,英語名をBURDOCKといい,BURはいがのようにくっついて離れない厄介者を,DOCKは大きく始末の悪い雑草をさします。アザミに似てさらにとげの多い頭状花をさしてBURの名前が付いたことは想像するに難くなく,これが東西交易品にくっついて広がったと考えるのが自然なように思われます。実際,ゴボウの根を食用にするのはわが国と朝鮮半島くらいなもので,原産地の中央アジアはもちろん,ヨーロッパでも中国でも食用にはしません。このように,食用としての利用はわが国独自なものか,あるいは朝鮮半島から伝わったものかは分かりませんが,三内丸山遺跡で栽培されていたとすると,わが国独自であったことも考えられます。たった一粒のタネ(痩果)ですが,そのような昔にはるか中央アジアからもたらされたと思うとロマンを感じさせます。なお,わが国最古の本草書である『本草和名』(918年)に「岐多岐須」の名で収載され,またゴボウを用いた献立が平安時代後期の宮廷の礼法を記録した文献にあることから,かなり古くから食用として栽培されていたことは確かなようです。

 さて,薬用としてのゴボウの知識はずっと後になって中国から入ってきたものと思われ,和名の「ゴボウ」は中国語の「牛蒡」の呉音に由来します。薬用としては洋の東西を問わず,解毒作用のある薬草のひとつとして,毒素の過剰により引き起こされる咽喉やその他の感染症,おでき,荒れ性,慢性的な皮膚症状の治療に用いられてきました。その根と果実には体内の老廃物の排出を促す効果があるといわれています。ただ,わが国で民間的に催乳剤として用いられることの起源については一考する余地があるようです。

 牛蒡子の品質としては,よく成熟し,新しくて大粒でふっくらとして,外皮が灰褐色のものがよいとされ,年を越して旧くなったものはよくないとされます。

 「悪実」にしろ「BURDOCK」にしろ,ゴボウにとっては不本意な名称に違いありません。しかし,したたかに世界中に広がり,おかげで各地で薬用とされ,昨今のわが国では根は繊維が多い健康食品として位置付けされているわけですから,「アシ」が「ヨシ」になったように,今や「良実」と改名してもよさそうです。

(神農子 記)