基源:テンダイウヤク Lindera strychnifolia F.Villars(クスノキ科 Lauraceae)の肥大した根.

 「烏薬」は『開宝本草』に胃腸薬,また膀胱の冷えなどの治療薬として初収載された薬物です。原植物の和名「テンダイウヤク」はわが国の本草家が名付けたもので,古来浙江省の天台産のものが薬効的に勝れているとされてきたことに由来し,中国名はあくまで烏薬です。昨今はあまり使用されない薬物ですが,本生薬にまつわる徐福伝説が何にもまして有名なので,烏薬の記事を書くにあたっては真っ先にこのことを書くべきと思われます。

 すなわち,秦の始皇帝が不老長生薬を求めるために,徐福という男性を,海を渡った東の国にあるという蓬莱島へ向けて遣わした話です。徐福は3000人の老若男女と1000頭の家畜を乗せた33隻の船で出立したとされます。そして,蓬莱島とはわが日本のことで,見つけた薬物が烏薬であったとか,いや徐福が烏薬をもたらしたのだなどとされる伝説です。始皇帝が徐福を派遣したことは史実のようですが,その後のことは一切歴史に残っておらず不明です。徐福が東に向かって出帆したことが事実であったことから,のちに多くの伝説が生まれたようです。わが国には各地に徐福上陸の地とする伝説があり,知られているだけで南は鹿児島県から北は青森県まで,20か所におよびます。東京都にも八丈島や青ヶ島に残っています。また,当の中国にもあるそうです。加えて,近年話題になった佐賀県の吉野ヶ里遺跡から発掘された人骨が渡来人のものであるとするのが定説となっており,徐福たち一行がここに村を築いたとする説も真しやかです。ちなみに,佐賀県には3か所に徐福上陸伝説の地があります。

 話を本題に戻し,烏薬の原植物の形態に関する最も古い記載は,『開宝本草』の「葉は3脈があり,青くて裏は白い,根は黒褐色で車の轂(こしき)状の紋理があり,形は山芍薬の根に似る」とあるもので,このものはテンダイウヤクの根に間違いなさそうです。一方,『図経本草』では「烏薬には2種あり,嶺南のものは黒褐色で堅硬であり,天台のものは白くて虚柔である」としています。ただし,「一説に天台のものは香よく白くて愛でるべきであるが,効力が大きな海南のものには及ばない」とも記しています。この根が白くて柔軟なものはツヅラフジ科のヤエヤマアオキにあてられ,このものは『図経本草』に描かれた4産地の付図のうちの衡州烏薬の原植物であるとされ,ヤエヤマアオキの別名にコウシュウウヤクがある所以です。

 『開宝本草』の記載を見る限りは烏薬はテンダイウヤクの根であると思われますが,いにしえの天台産烏薬が果たしてテンダイウヤクであったか否かについては何ともいえません。本草書によって天台産が良いとする説と,その逆の説があり,古来その評価はまちまちであったようです。烏薬というからには黒いものであったことが想像されることから,天台産烏薬はテンダイウヤクではなかったことも考えられますが,李時珍が「若木の根肉は白く,古木では褐色になる」と記していることから,時期によって色や硬さや香りに違いがあり,評価が異なったことも考えられます。

 さて,そのテンダイウヤクですが,現在では紀伊半島,四国,九州などの暖地に生えていますが,実は中国原産の樹木です。ではやはり徐福がもたらしたのかといえばそうでもないらしく,牧野先生の植物図鑑には享保年間にもたらされたとあります。徐福伝説の真偽はともかく,烏薬に関しては徐福とは関係がなさそうです。

(神農子 記)