基源:カノコソウValeriana fauriei Briquet (オミナエシ科Valerianaceae)の根及び根茎。

 オミナエシ科のカノコソウの地下部を基源とする生薬「カノコソウ」は、独特の臭気がある薬物です。オミナエシ科植物に由来する生薬には、「カノコソウ」のほかに「敗醤」「甘松香」などがあります。「敗醤」や「甘松香」は『神農本草経』や『開宝本草』など中国の本草書に収載され、古来清熱や行気を目的に使用されつづけてきた薬物です。それに対しヨーロッパでは、古代ローマ時代にディオスコリデスが記したとされる『De Materia Medica』(紀元前1世紀ころ)に収載された「PHOU」「NARDOS」「NARDOS KELTIKE」「NARDOS OREINE」などがオミナエシ科由来の薬物とされています。PHOUとは特有なにおいがあるという意味で、後世になって原植物にValeriana dioscoridisがあてられ、「野生のナルド」とも呼ばれてきました。また、「NARDOS」には、甘松香の原植物と同属のNardostachys jatamansiがあてられ、「NARDOS KELTIKE」には、Valeriana celtica、「NARDOS OREINE」にはValeriana tuberosaがあてられました。同書中では「NARDOS」の名がつく3種の薬物は同じ薬効を有し、古来ヨーロッパで鎮静効果が高い万病治療薬として知られ、温める作用や利尿を目的に使用されてきました。また「PHOU」にも同様に温める作用や利尿作用が記されています。このことは、現在わが国で区別している「カノコソウ」と「甘松香」は同効生薬であることをいっており、実際両者の臭いは区別しがたいほど類似しています。

 わが国では、『増補手板発蒙』(1829年)に、「ハレリアナ」の名称で「和産あり、カノコソウ、又は春のオミナメシと云い、新鮮なものを選び用いる。」と記されています。江戸時代の19世紀初頭にはすでにカノコソウが輸入されていたこと、また新鮮なものを良質品としている点からは、独特の臭気に薬効を期待していたことが窺えます。また、「春のオミナエシ」とよばれたのは、外観、とくに葉の形が秋に咲くオミナエシに似ていることに起因していたものと思われます。「和産あり」とあるように、原植物のカノコソウは北海道から九州まで深山のやや湿り気のある場所に自生しています。しかし、以前の乱獲のためか今では野生状態のものを見るのはまれで、絶滅危惧種に指定されています。

 生薬「カノコソウ」は、ワレリアナ根の類似生薬として『日本薬局方』の初版(1886年6月25日出版)から収載され、以後、纈草根、吉草根、カノコソウと表記を変えながら主に鎮静薬として浸剤、チンキ剤の製造原料として収載されてきました。生薬としては、かつて神奈川県を中心に栽培されたものが精油含量が高く、欧米諸国へも輸出され、Kesso rootとして名声を博したこともありましたが、現在では需要が少なくなり、北海道北見地方でわずかに栽培される(北海吉草根)程度です。現在のヨーロッパ産(ワレリアナ根:Valeriana officinalis)と日本産(カノコソウ)では、精油成分の組成が異なることから香りがやや異なり、また日本産のものでも精油の組成でみると2種類があるとの報告がありますが、薬効との相関は不明なようです。

 カノコソウは、秋になって地上部が枯れて黄色くなったら掘り取って、地下部をよく水洗いしてから天日で乾燥させます。一色直太郎氏は赤褐色の鬚根が多いものが良品であるとしています。

 なお、中国にはValeriana属植物が約10種自生しているにもかかわらず、薬用に供されているとする記載が見られません。「敗醤」や「甘松香」で十分間に合うと言うことでしょうか。それにしても不思議に思われます。

(神農子 記)