基源:ハマゴウVitex rotundifolia L. あるいはミツバハマゴウV. trifolia L.(クマツヅラ科Verbenaceae)の果実。

 蔓荊子は『神農本草経』の上品に「蔓荊実」また一種「小荊実」の名称で収載されています。その後,『名医別録』上品に「牡荊実」が別途収載され,古来複数の近縁生薬があったようです。

 蔓荊子の原植物は一般にクマツヅラ科の海浜蔓性木本植物であるハマゴウにあてられ,「蔓」の字義からもハマゴウが正品であると考えられます。一方,牡荊実は「牡」の字義から大型であったことが窺え,現在蔓荊子の1原植物としてあげられている同属で低木となるニンジンボクVitex cannabifolia Sieb. & Zucc.であったものと考えられます。このニンジンボクの果実はハマゴウに比して小型で,『神農本草経』収載の「小荊実」はこのものであった可能性が高く,もしそうであれば,『名医別録』で「小荊実」が「牡荊実」の別名で収載されたことになります。「牡」には大型と言う意味があり,ニンジンボクがハマゴウに比して大型であったためについた名前ですが,薬用部の果実は逆に小型であったことから名称と原植物のあいだに混乱が生じていたようにも考えられます。こうした状況は唐代まで続いていたようですが,宋代の『図経本草』に示された図を見ると,牡荊実の項に示された「蜀州牡荊」も蔓荊子の項に示された「眉州蔓荊」も,ともにニンジンボクであると思われ,宋代にはハマゴウよりはニンジンボクの果実の利用の方が多くなっていたようです。著者の蘇頌は蔓荊子の産地として「昨今は近京および秦,隴,明,越州など,昔の産地以外で多く産出する」と記し,これらは現在の河南省,陝西省,甘粛省,浙江省などに相当し,これらの中で海岸を有するのは浙江省のみであることからも,宋代にはニンジンボク由来の生薬が多用されていたことが窺えます。唐代から宋代に移り,都が長安から鄭州へと変わり,海岸植物由来の生薬の入手が困難になったことも考えられます。

 薬効的には蔓荊子の性味は,『神農本草経』では「苦微寒」,『名医別録』では「辛平温」とされ,牡荊実の性味は「苦温」で,それぞれ異なっています。明代の名医李時珍は『辛温』とし,現代中医学的には「辛涼解表薬」とされており,それぞれ微妙に異なっています。蔓荊子は一般に風熱を疎散する薬物とされ,感冒による頭痛をはじめ,歯茎の腫痛,目赤など,とくに顔面の風虚に良いとされますが,発表する力が弱いので,あまり用いられてこなかったものと思われます。

 わが国では『和語本草綱目』や『和漢三才図会』に薬効が記され,紀州産のものを良品とし,播州産のものがその次にあげられています。また,小野蘭山の『本草綱目啓蒙』には,木や葉は香気が多いため,葉を末にして香にすることが記されています。葉を摘むとクマツヅラ科特有の一種独特な香りがあります。

 ハマゴウはアジアの温帯から熱帯にかけての海岸の砂地に生える海浜植物です。波打ち際を目指して砂浜を這う姿には力強さを感じます。木質の茎を持ち上げると,節々から根をおろしています。夏期に淡い赤紫色のきれいな花を円錐花序に咲かせ,花期が長いので秋まで楽しめます。

 ハマボウフウ,ハマネナシカズラ,ハマヨモギなど,薬用とされる海浜植物は多く,薬効的にも他の生薬とどこか違ったものがあるように感じられます。昨今は海岸線がコンクリートで整備され,これらの薬用植物が生える場所も少なくなり,海岸らしさが失われてしまったように感じるのは筆者ただ一人ではないでしょう。

(神農子 記)