基源:カキ Ostrea gigas Thunberg(イタボガキ科 Ostreidae)の貝がら

 縄文期の貝塚からはハマグリの次に「カキ」の殻が多く出土するそうです.このことからもわかるように,日本人は古くから現代にいたるまで,「カキ」を食料として好んで利用してきました.日本に生育している「カキ」にはマガキ Crassostrea gigas Thunberg(=Ostrea gigas Thunberg),スミノエガキ C. ariakensis Fujita やイワガキ C. nippona Sekiなど数種があります.これらの種の中でマガキは,広島県,宮城県をはじめとする各地で盛んに養殖されており,現在日本で食用として最も多く流通しています.一般的に「カキ」といえば,マガキのことを指すことが多いようです.現在市販されている生薬「牡蛎」も養殖されたマガキの殻を加工調製したものが多く出回っています.

 「カキ」は卵からかえった直後の2,3週間は海中を浮遊していますが,その後は固い物の上に殻の一部で固着し,動くことなく一生を過ごします.マガキの養殖は,この性質を利用して,幼生が浮遊し始める頃にホタテガイなどの殻を海中に吊るして行っています.また,マガキは自然状態では,岩や防波堤などの固いものに付着するほかに,干潟の泥の上に生息していることが知られています.マガキは,泥の上に浮いているのではなく,死んだ個体の殻が古いものから順に積み重なり,泥の中に埋もれたものの上に固着して生息しており,全体としては巨大な塊が形成されています.「カキ」の殻は,同じ二枚貝であるアサリなどとは異なり,左右対称ではありません.左殻は,大きく,膨らんでおり,右殻は,小さく,比較的平らな形をしています.左殻で他の物に固着して成長します.また,一定の場所に固着して生活していることから,周囲の環境の影響を受けやすく,殻の形は変化に富んでいます.「カキ」の殻は,主にチョーク層という極めて脆い物質からなる層と,葉状層という薄く丈夫な層が重なってできており,脆く,他の貝と比較して比重がとても軽いのが特徴です.

 「牡蛎」という名称の「牡」の意味について,古来,多くの本草家たちは考えをめぐらせてきました.陶弘景は「道家の方では,左顧を雄とするので,牡蛎と名付け,右顧のものを牝蛎(ひんれい)とする.」と牡牝は左顧であるか右顧であるかによるとしています.また陳蔵器は「万物には皆,牝と牡とがある.牡といったものは雄を意味したものだ.」と記し,李時珍は「もっぱら雄のみで雌がない.故に牡なる名称が生じたのだ.」と記し,牡牝は性別の雄雌の違いであるとしています.また,人見必大は『本朝食鑑』で,上述の李時珍の説に対して「凡そ万物のなかで,生命が誕生して以後にどうして独陽の理があろうか.蛎だけが生を得ていながら,どうして陰陽の理にあてはまらないことがあろうか.わたしの考えるに,大抵牡は大きく牝は小さいし,また雄は大きく雌は小さい.今の牡蛎の牡も,併せて粗大なことを表しているのではなかろうか.」と述べ,牡牝は大きさの違いであるとしています.これらの意見からすると,「牡蛎」としては,大ぶりな「カキ」の左殻を用いるのがよいと考えられます.

 「牡蛎」は,神農本草経の上品に「傷寒寒熱,温虐で洒洒たるもの,驚恚,怒気をつかさどる.拘緩,鼠瘻,女子の帯下赤白を除く.久しく服すれば,骨節を強くし,邪鬼を殺し,年を延ばす.」と記され,安中散,桂枝加竜骨牡蛎湯,柴胡加竜骨牡蛎湯などの処方に配合されています.また,李時珍は『本草綱目』で「牡蛎」の主治は「痰を化し,堅を耎にし(やわらかくし),熱を清し,湿を除き,心,脾の気痛,痢下,赤白濁を止め,疝瘕積塊,癭疾結核を消す」であると述べ,附方の項では,心脾気痛,瘧疾寒熱,気虚盗汗,消渇飲水,水病嚢腫,男女瘰癧など,21種の治療方法を紹介しています.これらの附方では,「牡蛎」を単味あるいは他の2,3種の生薬と共に用いていますが,内服する場合の多くは,「牡蛎」の煎じ液を飲むのではなく,粉末をそのまま飲むとされています.また,日本の民間療法でも,「牡蛎」の粉末を鎮静,健胃や遺精,夢精,寝汗の治療を目的に内服する方法が知られています.このように「牡蛎」は粉末としてそのまま服用することが多いことから,「牡蛎」を煎じた場合に水に溶け出ない部分にも薬として重要な役目があるように思われます.

(神農子 記)