基源:ハマグリ Meretrix lusoria Roding(マルスダレガイ科 Veneridae)の殻

 二枚貝の中ではハマグリが最も高級感があります。掌ほどの大きさや厚い重量感ある貝殻は他に類を見ません。また,一枚一枚の模様やその色が異なることも他の貝にはない特徴で,古くから貝合わせの遊び道具として愛されてきた所以とも思われます。

 ハマグリの薬用に関しては赤貝とともに『古事記』に登場し,医薬に関する我国最初の記事とされます。そこには,八十神にだまされて,猪の代わりに火で焼いた大きな石を捕らえようとして死んでしまったオオナムヂノ神(大国主神)が,キサガイヒメ(赤貝)とウムギヒメ(ハマグリ)の治療によって(赤貝の殻を削った粉をハマグリの汁で溶いたものを塗って)蘇生したとする話が記されています。

 中国医学では,ハマグリは「文蛤」の名称で,『神農本草経』の上品に「悪瘡,五痔を蝕す」,『名医別録』に「鹹,平,無毒。欬逆,胸痺,腰痛,脇急,鼠廔,大孔出血,婦人の崩中漏下」と収載され,『金匱要略』には「文蛤散」や「文蛤湯」など,文蛤が主薬となった処方も収載されています。また,『本草綱目』には「煩渇を止め,小便を利し,痰を化し,堅を軟にし,口,鼻中の蝕疳を治す」と記されています。

 「蛤」は字義から二枚貝を指し,「文蛤」は文様のある二枚貝と考えられます。実際,『名医別録』には「東海に生ずる。表に文がある」とあり,陶弘景は「大小いずれも紫斑がある」,韓保昇は「背上に斑文がある」と記しています。一方,歴代本草書には「文蛤」のほかに「海蛤」の条もあり,陳蔵器は「海蛤とは,海中の爛殻が久しく沙泥中にあって風波に洗われ,自然に円くきよらかになったものだ。文蛤とはまだ爛れないときの文理のある殻のことだ。新しいのと旧いのとの違いがあるだけで,もとは一物で二つの名があるのだ」とハマグリ貝殻の新旧の違いであるとし,後世の李時珍は「海蛤とは海中の諸蛤の爛殻の総称である。単に一種類の蛤を指したものではない」,「文蛤は独立した一種類である」とし,海蛤は海に棲む二枚貝の総称でハマグリに限らないとしています。現代中国では,「文蛤」と「海蛤」をあわせて「蛤殻(あるいは海蛤殻)」と総称し,『中華人民共和国薬典』には「蛤殻」として文蛤 Meretrix meretrix L. と青蛤 Cyclina sinensis Gmelinの殻が規定されています。日本では生薬「文蛤」としては一般にハマグリの殻を用いてきました。

 日本の民間療法では,ハマグリは,やけどに生の身の汁を塗る,痔核や脱肛で痛むときに温めた身で温罨法する,乳首の痛みに殻の粉をベニバナで製した紅でといてつけるなどの方法が知られ,『古事記』の記載内容が伝承されてきたことに興味を覚えます。また,『本朝食鑑』の「蛤」の条に「殻を丹剤(ぬりぐすり)を入れるいれものの代わりにもし,薬屋では常に貨殖の品となる」とあり,『和漢薬の良否鑑別法及調製法』の「蛤貝」の条に「膏薬及び練薬の容器に使用する」とあるように,ハマグリの殻は薬としてだけでなく,薬の入れ物として重宝されていました。今でも高級感ある菓子の容器として利用されています。

 ハマグリ以外の二枚貝の薬用利用に関しては,シジミがよく知られています。特に,黄疸にシジミの味噌汁やシジミを煮出した汁を飲むと効果があるとされ,他に,痔核で痛むときにシジミを煮だした汁で温罨法する,喘息や百日咳に殻の黒焼きを粉末にして飲む,しらくもに殻を黒焼きにしゴマ油でねってつける,などの方法があります。

 このようにハマグリやシジミなどの小さな貝類も食用や薬用として古来貴重な存在です。泳ぎ回る魚類と違って潮間帯で採取しやすい貝類は貴重な食用蛋白源であったことは貝塚を見なくとも容易に想像できます。昨今はこれら貝類の生息域では干拓,埋め立て,護岸工事,水質汚染などにより個体数が減少し,特にハマグリは絶滅が危惧されています。我々人類を育ててきた大切な資源であることを忘れてはならないでしょう。

(神農子 記)