基源:アブ科(Tabanidae)のウシアブ Tabanus trigonus CoquillettやフタスジアブT. bivittatus Matsumuraなどの雌の成虫の乾燥体

 アブは『今昔物語集』の「わらしべ長者」の話に登場します。主人公である貧しい若者が、なにげなくとらえたアブを藁しべで結び、小枝の先につけて持って歩いているのを、お金持ちの子供が欲しがったため、みかん(一説に"こうじ")と交換します。その後、さらに高価なものと次々に交換し、最終的には若者が長者になるという有名なお話です。もともと藁やアブにはあまり価値がありません。しかし、福運を持ち合わせた人は、藁しべやアブなどを持っているだけでも出世していくという昔からの人生観を表しているものといわれています。

 アブは、双翅目に分類され、アブ科は世界で3000種以上、日本では80種以上が記録されており、中〜大型で大きな複眼を持ち、生体は美しい色彩を放ちます。体長が7−30ミリで、体は扁平で頑丈です。翅は、透明あるいは時に暗褐色の斑紋を持ち、しっかりとした翅脈に支えられており、多くの種では強い飛翔力を有します。体型は「蚊」のように繊細ではなく頑丈で、動作の点では「ハエ」のように敏捷ではないという特徴をもつ昆虫です。アブが飛ぶときの音が「ボー」と聞こえることに由来して,「虻(つくりの亡の音はボウ)」という字ができたとされます。

 日本ではアブは古くは「アム」と呼ばれていました。夏季の山野に多く見られ、朝夕の一定の明るさの時間に活動します。アブの成虫は、動物の呼気中に含まれる二酸化炭素に誘引され、動物が近づくと体温を感じて興奮します。大あごで動物の皮膚を切り刺し、流れ出てくる血液をなめて吸い取ります。アブに刺されると激しい痛みをおぼえ、次第に発赤して腫れ、しばらくしてから激しいかゆみが生じます。腫脹と疼痛は、個人差があるものの、他の昆虫に比べて極めて強く、数日から数週間も続くことがあります。これらの症状は、アブの唾液に含まれる特殊なタンパク質により引き起こされることが明らかとなっています。またアブは、自動車の排気ガスに誘引されて車中に入り込んだり、温泉地周辺の露天風呂で入浴中の人を刺したりすることも知られています。人畜を刺して血を吸うことからも、人間に嫌われている害虫の一つです。

 このアブが生薬「虻虫」として利用されます。『神農本草経』の中品に「木蝱」と「蜚蝱」の名で収載されており、「木蝱」は、「味苦平。目赤痛、眥傷涙出、瘀血、血閉、寒熱酸慙、子無きものを主る。」と記載されており、一方「蜚蝱」は、「味苦微寒。瘀血を逐い、血積、堅痞癥瘕、寒熱を破って下し、血脈及び九竅を通利する。」と記載されています。両者ともに駆瘀血薬としての薬効が共通しています。

 生薬「虻虫」としては、採集地や採集時期、産地等の違いにより、多数の種類のアブが基源となります。雄の成虫は吸血せず、雌のみが吸血性であるため、生薬はすべて雌の成虫に由来します。採集方法は、牛や馬にたかったものを昆虫採集用のたも網などを用いて、虫体を抑えて潰さないように注意しながら捕獲します。捕獲後は日乾または陰乾し、その後、脚、翅を取り除き、炒ってから用います。市場品の約半数の個体に潜血反応が認められたという報告があることから、吸血行動中や吸血後に捕獲されたものと考えられます。

 虻虫を配合している方剤に、抵当丸、抵当湯(『傷寒論』出典)や大黄シャ虫丸(『金匱要略』出典)などがあります。よって虻虫は、通経、駆瘀血薬として、月経閉止、胸腹中の蓄血などに応用されます。虻虫は激しい破血薬であり、水蛭(ヒルの乾燥体)とともに用いられることが多く、水蛭は血を潤し、虻虫は血を走らせるといわれています。虻虫は妊婦には禁忌で、注意が必要です。

 一般に、「虻蜂取らず」ということわざがあります。この言葉は、あれもこれもと両方をねらってどちらもだめになることを意味し、また、あまり欲を深くしてかえって失敗することの例えでもあります。「二兎を追うものは一兎をも得ず」も同じ意味を持っています。兎年(2011年)もあとわずかとなりました。「虻蜂取らず」とならないように、年末を健康で過ごしたいものです。

 

(神農子 記)