基源:カンラン科(Burseraceae)の Commiphora molmol Engl. などの植物の皮部の傷口から流出して凝固した樹脂

 没薬は乳香とともに,古代エジプトにおける最も重要な香料として知られています。神殿では太陽神のために1日3回香がたかれ,朝は乳香が,太陽が頭上にきたときには没薬が焚かれたといいます。また没薬はミルラとも呼ばれ,ミイラを作るために欠かせないものでした。

 Commiphora属植物は世界に約200種が知られ,アフリカの乾燥地帯,アラビア半島からインドにかけて,またマダガスカルなどに自生しています。本属植物は樹脂を含有することで知られ,属名のCommiphoraはギリシャ語のkommi(ゴム)とphoreo(産する)に由来します。没薬はC. abyssinica Engl. やC. molmol Engl. など数種から採取されます。黄白色をした樹脂が幹の皮部と髄でつくられ,幹に切傷をつけるか,あるいは自然に流出して凝固したものを採取します。乾燥して黄褐色から赤褐色の堅い塊となった樹脂が没薬です。約半分がゴム質で,他に精油,樹脂,水分などを含みます。

 没薬は,その原植物と産地によって品質が異なり,数種に区別されます。最も品質が良いものは,ヘラボール・ミルラ(ソマリア・ミルラ)と呼ばれ,ソマリアやアラビア半島南部に分布する C. molmolから採集されます。他にアラビア・ミルラやビサボール・ミルラと呼ばれるものがあり,前者はエチオピア,ソマリア,イエメンなどの高地に分布している C. abyssinicaC. schimperi Engl. などから,後者はソマリア,エチオピア東部などに分布する C. erythraea var. glabrescens Engl. から採集されます。東南アジアの生薬市場には花没薬と称する生薬が流通することがあり,水に溶解すると赤色になります。これはラックカイガラムシの分泌物に由来するもので,カンラン科植物に由来する没薬とは異なるものです。

 没薬は香料のほか,古代ギリシャ医学では重要な生薬とされました。ディオスコリデスの『薬物誌』によると,「薬効は,暖める,粘液の分泌を抑える,催眠,収斂作用などで,豆粒ぐらいの量を服用すれば慢性の咳,脇腹や胸の痛み,下痢,血性下痢などを治療する」,また「ミルラ酒は,咳,胃液過多などの治療によい」とされています。現代の西洋では,ミルラが殺菌,脱臭作用を有することから,ミルラチンキとして風邪による咽などの炎症に塗布剤,含嗽剤とされます。

 中国へも伝わり,『開宝本草』に,「味苦,平。無毒。血を破り,痛みを止め,金瘡,杖瘡,諸悪瘡,痔瘻,卒下血,目中の瞖暈痛,膚赤を治す。波斯国に生じ,安息香に似て,その塊は大小一定せず,黒色である」と収載されています。『本草衍義』には,「滞った血を通じ,打撲損疼痛を治すには,没薬を酒にといて服用する。血が滞ると気がふさがり,気がふさがると経絡が満急し,経絡が満急するから痛み腫れるのである。打撲して肌肉が腫れるのは,経絡が傷み,気血がめぐらずふさがっているからである」と没薬の効能を中国医学的に詳しく説明しています。また『本草綱目』には,「乳香は血を活かし,没薬は血を散らし,いずれも痛みを止め,腫れを消し,肌を生じる。よってこれらは,いつの場合でも合わせて用いる」とあり,没薬と乳香を併用することが記されています。現代中国では,没薬は駆瘀血,消腫,止痛などの効能がある生薬とされ,打撲傷,心腹の諸痛,癰疽による腫れや痛みなどの治療に用いられています。

 日本では江戸時代に,中国からは「没薬」の名で,オランダなどの西洋圏からは「ミルラ」として輸入していましたが,「ミルラ」の方が良質であったことから,『日本薬局方』には「没薬」ではなく「ミルラ」として収載されることになったといいます。初版から第5改正まで「密兒拉」あるいは「ミルラ」として収載され,また別に「ミルラチンキ」も収載されていました。

 没薬は近年あまり使用されなくなりましたが,今でも主としてアラブ文化圏で薫香料として利用され続けています。

 

(神農子 記)