基源:カイコガ科(Bombycidae)のカイコ Bombyx mori L. の幼虫が、白殭病菌 Botrytis bassiana Bals. の感染により、硬直死した乾燥虫体

 シルクロードは、内陸アジアを横断して、中国と西アジア、地中海沿岸を結んだ交通路です。古代中国特産の絹(シルク)がこの道を通って西方にもたらされると同時に、東西の様々な文物の交流にもこの道が大きな役割を果たしました。こうして、この道に対して、ドイツの地理学者リヒトホーフェンが、ザイデンシュトラーセンSeidenstrassen(絹街道)という言葉を使い始め、後にシルクロード(絹の道)と呼ばれるようになりました。絹はカイコが蛹になるときにつくる繭からとれる良質な生糸からなり、主な成分はフィブロインというタンパク質です。

 カイコはカイコガ科に属する蛾で、他の蝶や蛾と同じように卵から幼虫、蛹、成虫という一生を送ります。しかし、カイコは人間によって4000年以上もの間飼育され続けられたことから、野生の昆虫とは異なった性質を示します。例えば、幼虫は行動範囲が狭く、餌がなくなっても這いまわって探すようなことはほとんどしません。また成虫の蛾は飛ぶ力が乏しく、雄は雌と1m以上離れていると近づいて交尾することができません。このようにカイコは人間の手を借りなければ生きることが不可能なほど、今では完全に飼いならされています。

 カイコがもたらす絹は世界的に重要な産物で、農家では貴重な収入源の一つであったことから、養蚕は人々の生活と密着したものでした。そのためカイコは、生理、生態、遺伝など様々な分野において詳しく研究がすすめられてきた昆虫でもあります。カイコは一匹が病気にかかるとまわりに伝染し全滅してしまうこともあるので、飼育場所を清潔に保つなど感染予防に努めることが重要です。カイコの病気には、各種のウイルス病、細菌病、昆虫やダニなどによる寄生虫病などがあります。中でも白殭病菌にかかって病死したカイコを白殭蚕と呼びます。

 白殭蚕は、カイコが病気にかかり死んだ状態のまま腐敗せずに硬直し、白い粉で覆われたようになったものです。中国では古くからこの白殭蚕を生薬として用いてきました。『神農本草経』の中品に収載され、「味は鹹。小児の驚癇、夜啼を治し、三虫を去り、黒黯を減らし、顔色をよくする。男子の陰瘍病によい」と記されています。陶弘景が「人家で養蚕をする時にすだれ一枚分全部の蚕が死ぬことがある。それを暴乾し、形の壊れていないものが白殭蚕である」と述べているように、古くから白殭蚕はカイコが罹る伝染病であることが認識されていたようですが、その病因については長い間不明のままでした。明代の李時珍はその病因について、「白殭病とはカイコが風病に罹ったものである」とし、それを白殭蚕の薬効と結びつけ、「(白殭蚕が)風を治し、痰を化し、結を散じ、経を行らすのは、その気が相感ずるためであって、この関係を利用するのである」と記しています。白殭病の原因が明らかにされたのは19世紀のヨーロッパにおいてでした。『昆虫伝染病の科学史』によれば、イタリアのバッシという人物がカイコの白殭病の原因がカビであることをつきとめ、カビがカイコの体内で分岐しながら増殖し、死後に体表に出て胞子(分生子)をつけることを実験により明らかにし、この結果を1834年に公表しました。白殭病菌の学名はバッシの業績をたたえ、Botrytis bassiana と命名されています。現代の中国では、養蚕技術の向上にともない自然病死するカイコが少なくなったため、人工的にカイコに病原菌を接種して白殭蚕を生産しています。生薬とするには、白殭病で死んだカイコを石灰で脱水し、後に水洗して石灰を落として日乾し、麩とともに炒って用います。もちろん、白殭病以外の原因で死んだカイコは薬用にはできません。

 カイコは、絹をとるために人間がつくりだし、養蚕を営む人たちが大切に育て、共に暮らしてきた昆虫です。また人々は、絹を産みだすカイコを「おかいこさま」などと呼んで尊んできました。人々が白殭病に罹ったカイコまで薬用にしてきた背景には、カイコに対する強い愛情と感謝の念があったように感じます。

 

(神農子 記)