基源:マメ科(Leguminosae)の Sophora tonkinensis Gagnep. の根および根茎.

 本州(関東以西),四国,九州地方の山林にはミヤマトベラ Euchresta japonica という一風変わった形態を有する植物が生育しています.個体数がそれほど多くなく,多くの都道府県のレッドデータブックに掲載されています.ミヤマトベラの名前はトベラ科トベラ Pittosporum tobira に似ていることから付けられています.楕円形で革質,常緑の葉はトベラを連想させます.しかし実際にはミヤマトベラはマメ科植物です.高さ30から80センチ程の小低木で小葉が三枚,6〜7月に花を咲かせます.総状につく蝶形花からマメ科であることがわかります.一風変わった形態というのはその莢果で,1種子のみを有した楕円形をしており,マメ科植物で思い浮かべる種子数個を莢に納めたものと異なっています.江戸時代,小野蘭山は「山豆根」の原植物にこのミヤマトベラの根を充てました.

 山豆根の記載について,『本草綱目』には「苗蔓は豆のようで葉が青く,冬を経ても凋まない」という記載があり,さらに小葉が三枚であることがはっきり示された図が載っています.小野蘭山の同定はこの記載に基づいたものと思われますが,的確なものと思います.これ以降,日本では山豆根の原植物はミヤマトベラと引き継がれてきました.山豆根の別名にはセンブリ,イシャダオシなどがあり,味が極めて苦いこと,そして優れた効果があったことが推測できます.ただ,当時の市場には複数の基源の生薬が流通していたようで,『本草綱目啓蒙』には「薬肆二貯ルトコロ古渡ノモノ良ナリ味甚苦シ新渡ノモノハ苦シテ薟酸ヲオブ偽物ナルベシ和二馬棘(コマツナギ)ノ根ヲ以テ偽ルモノアリ用ヘカラズ」との記載があります.

 ところで,中国でも山豆根の異物同名生薬が非常に数多く存在しているようです.東北,華北産のものにはツヅラフジ科コウモリカズラ Menispermum dauricum の根茎,広西壮族自治区桂林では同じくツヅラフジ科 Cyclea hypoglauca の根であり,また湖北,河南,山西をはじめ多くの地域で用いられている山豆根はマメ科の Indigofera amblyantha を始めとする同属植物の根,湖南省などではヤブコウジ科 Ardisia 属植物の根などが使用されています.このように中国で多くの基源が混在する理由には生薬名が「山豆根」という単純であることが考えられます.「山豆根」という固有名詞としてではなく,「山豆と称されている植物の根」という意味に解釈できます.野生で豆や果実が成る植物はその地域毎に「山豆」と称され,その結果,多様な「山豆根」が存在していると考えられます.ただし現在,中華人民共和国薬典(2010年版)の「山豆根」の基源にはマメ科 Sophora tonkinensis の根および根茎のただ1種類が規定されています.

 中国で現在規定されている Sophora tonkinensis は小葉11枚から39枚の小低木ですから,『本草綱目』の記載とは大きく異なっています.しかしさらに前の北宋の時代の『図経本草』では,「広南のものは小槐のようで高一尺余あり」と記載していることから,この「広南のもの」すなわち広豆根と称されてきたものが現在,中国の正式な「山豆根」となっています.小野蘭山が充てた Euchresta 属植物はミヤマトベラを含めて4種類が中国に分布していますが,中国では現在,Euchresta 属植物を薬用にしていません.Euchresta 属の中国名に「山豆根属」が採用されているのみです.

 Sophora tonkinensis は苦参の原植物クララ S. flavescens に近縁な植物で,根にアルカロイドのマトリン,オキシマトリンを含有していることもクララと類似しています.それぞれに由来する山豆根と苦参の薬味薬性も苦・寒と類似しています.山豆根は使用頻度がそれほど多くはなく,成分や薬効に関する研究例がほとんどありません.そのため苦参との相違は比較できませんが,両生薬の別生薬としての使い分けなど非常に興味があるところです.中国では Sophora tonkinensis に山豆根の原植物の座を奪われてしまったミヤマトベラ(Euchresta 属植物)ですが,却ってそのお陰で貴重な資源が守られてきたのかもしれません.

 

(神農子 記)