基源: 主に天然の含水硫酸ナトリウム,無水硫酸ナトリウムからなる鉱物.あるいは,主に含水硫酸マグネシウムからなる鉱物.

 芒硝と聞くと温泉を思い浮かべる方がいるかもしれません.以前は硫酸ナトリウムを多く含む温泉のことを芒硝泉と呼んでいました.現在の分類ではナトリウム硫酸塩泉と呼ばれます.高血圧の人は,芒硝泉への入浴により血圧降下が認められるようです.

 正倉院には,聖武天皇の遺愛品の他に多くの生薬が献納されています.共に保管された「奉 盧舎那仏種々薬」(盧舎那仏に奉る種々薬)と文頭に記された献物帳(種々薬帳)には60種の薬物の名前と量が記されており,病に苦しむ民に対して用いても良いと記載されています.実際に多くの薬物が用いられ,現在では大幅に量が少なくなったものや,亡失しているものもあります.鉱物性生薬である芒硝も種々薬帳に記載されており,その基源についての調査が行われてきました.現代では芒硝は含水硫酸ナトリウムのことを指しますが,昭和23年から26年にかけて行われた正倉院薬物の大規模な科学的調査において,正倉院所蔵の「芒消」は硫酸マグネシウムを主成分とすることが明らかになりました.

 芒硝は『名医別録』に初見し,以後,様々な本草書において「芒消」の名で収載されています.また,類似生薬に朴硝があり,これも「朴消」の名で『神農本草経』以降様々な本草書に記載が認められます.正倉院薬物の調査結果から考えると,唐代には含水硫酸マグネシウムを主成分とする「芒硝」が用いられていたと言えるでしょう.

 ところが,李時珍は『本草綱目』で「陶弘景及唐宋諸人皆知諸消是一物但有精粗之異」,すなわち,芒消や朴消などは,精製度に違いはあれども同じものだと述べています.これ以降,芒硝と朴硝の混同が認められます.では,日本ではいつから含水硫酸ナトリウムが芒硝と呼ばれるようになったのでしょうか.益富寿之助博士によると,グラウバー塩(含水硫酸ナトリウム)が舶来した際,中国由来の「芒硝」と同等であったため,宇田川榕菴がこれを「芒硝」とし,名称が定着したとのことです.ちなみに,含水硫酸マグネシウムは「瀉利塩」と呼ばれています.ナトリウム塩,マグネシウム塩ともに同様の瀉下作用を示すため,問題はなかったのかもしれません.

 芒硝の性味は鹹・苦,寒であり,瀉熱通便,潤燥軟堅の効があるとされます.主成分である硫酸ナトリウムあるいは硫酸マグネシウムは腸管においてほとんど吸収されないため,腸管内への水移行が促進し,便を軟らかくすることにより通便作用を示すと考えられています.人間だけでなく馬に対しても便秘の際に用いられるそうです.ところで,調胃承気湯,防風通聖散,大黄牡丹皮湯などで見られるように、芒硝はしばしば大黄とともに用いられます.健胃薬として知られる大黄ですが,芒硝と共に配剤された場合は,芒硝によりもたらされた軟便を押し流す瀉下作用を期待して用いられていた可能性が示唆されています.一方,大黄と芒硝を共煎すると瀉下活性成分であるセンノシド類の煎液中の濃度が低下しますが,芒硝を煎出の後期に加えることによりこれらの成分の濃度低下を防ぐことができます.

 含水硫酸ナトリウムは風解を起こすことが知られています.結晶を空気中に放置すると,やがて水和水を放出し白色の粉末が残ります.この白色粉末を主成分とする生薬が風化硝です.一方,無水硫酸ナトリウムを高い湿度のもとで保管すると,水和が起こり含水硫酸ナトリウムへと変わります.このような風解と水和のサイクルは硫酸マグネシウムでは起こらないようです.正倉院薬物の調査では,この性質の違いが新事実発見のきっかけになったようです.

 正倉院で1200年以上も昔の生薬が現存しているのはどれだけ貴重なことでしょう.作用の良く似た2種の「芒硝」ですが,使い分けが必要か否か,今少し論議が必要かもしれません.

 

(神農子 記)