基源:バラ科(Rosaceae)のヤマザクラ Cerasus jamasakura H. Ohba (=Prunus jamasakura Siebold ex Koidzumi),又はカスミザクラC. leveilleana (Koehne) H. Ohba (=P. verecunda Koehne)の樹皮

 サクラ属植物は世界に約 100 種あり,ユーラシアの温帯から暖帯に分布します.日本に野生するサクラは約 9 種ですが,園芸品種の数は約 300 種とも言われています.植物学的にサクラという種はなく,一般的にサクラ属植物をサクラと通称しています.春の花見で有名なソメイヨシノ C. × yedoensis (Matsum.) A.V.Vassil. は江戸時代末期から明治初年にかけて現れた品種で,明治時代以降に急速に全国へと広まりました.

 サクラは鑑賞するだけでなく,果実はサクランボとして,花は桜湯に,葉は桜餅にして味わう事ができます.生のサクラの葉には香りはありませんが,塩蔵中にクマリン配糖体が分解され,クマリンの甘い香りを発するようになります.桜餅に使用されるのは野生種のオオシマザクラ C. speciosa (Koidz.) H.Ohba で,伊豆諸島特産のサクラです.カスミザクラ C. leveilleana (Koehne) H.Ohba から分化してできた海岸型あるいは島嶼型であると考えられています.カスミザクラに比べて花も葉も著しく大きく,枝は太く,各部位に毛が少ないのが特徴です.また,オオシマザクラやヤマザクラなどの野生種から数多くの園芸品種が作り出されました.

 オウヒ(桜皮)は日本で独自に使用されている生薬です.中国では同じサクラ属植物のシナミザクラ C. pseudocerasus (Lindl.) G.Don の果実を強壮薬として利用していますが樹皮は用いていません.オウヒは『第十六改正日本薬局方』の第一追補で初収載されました.原植物の1種とされるヤマザクラは日本の南半分と朝鮮半島の南部に分布する野生種です.エドヒガン C. spachiana Lavalée ex H.Otto var. spachiana f. ascendens (Makino) H.Ohba に次いで寿命が長く,古木では高さ 25 m,胸高直径 1 m 以上になります.

 江戸時代の民間療法の書物には,「しゃっくりに桜の樹皮を黒焼きにし,粉にして白湯で用いる」,「疔に,五八霜(反鼻の黒焼き),桜の皮の黒焼き各等分を胡麻油でといてつけると妙である」など,樹皮を黒焼きにして用いる記載が多く見られます.漢方では黒焼きを霜と呼び,主に動物性生薬(反鼻,露蜂房,文蛤など)に加える修治です.現在,オウヒは咳嗽,皮膚炎,腸炎などに用いられ,また桜皮エキスをブロチンとして鎮咳去痰に,漢方では十味敗毒湯に配合されます.

 十味敗毒湯は華岡青洲によって考案された漢方処方で,『万病回春』の荊防敗毒散を元に作られたとされています.荊防敗毒散は荊芥,防風,羌活,独活,柴胡,前胡,薄荷,連翹,桔梗,枳殻,川芎,金銀花,茯苓,甘草,生姜の15種の生薬から構成されており,そこから独活,前胡,薄荷,連翹,枳殻,金銀花を除き,桜皮を加えたものが『瘍科方筌』にある十味敗毒散です.この十味敗毒散は後に湯剤となり,桜皮を樸樕に,羌活を独活に改め現在の十味敗毒湯へと変化していきました.この変化は浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』から始まっており,「此方ハ青洲ノ荊防敗毒散ヲ取捨シタル者ニテ荊敗ヨリハ其力優ナリトス」と記されています.十味敗毒湯は,中国で使用されてきた荊防敗毒散が日本人によって日本人に合わせた処方に加減され進化した処方であると言えます.

 『春雑謌』に収められている山部赤人の四首の歌の中にサクラに関する歌があります.そこでは「足比奇乃山櫻花日並而如是開有者甚戀目夜裳(あしひきの 山櫻花 日並べて かく咲きたらば いと戀ひめやも)」とあり,今,咲いているサクラの花に対する愛着が詠まれています.葉を食用に,樹皮を薬用にするなどして利用してきた我々は,花の季節が終わった後も,サクラの価値を愛で続けたいと思います.

 

(神農子 記)