基源:ヒシ科(Trapaceae)のヒシ Trapa japonica Flerow またはその同属植物の成熟果実を乾燥したもの。

 「君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも」

 これは柿本人麻呂歌集に詠まれているヒシを題材にした男女の恋歌です。いとしいあなたのために浮沼の池の菱を摘んでいたら私の染めた袖を濡らしてしまいました、との意味で、ヒシは生育する湖沼の富栄養化にも強く、純群落を形成して池一面を覆っている風景をよく見かけます。古来、身近な食用植物であったのでしょう。

 ヒシは東アジアに広く分布し、日本では北海道から九州まで自生しています。水底に根を下ろし、そこからときに2mを超える長い茎を伸ばし、水面に浮葉がロゼット状に展開し、葉身は菱形や丸みのある三角形で粗い鋸歯があり、長さ2〜5cm、幅2〜8cmです。葉柄の中ほどがふくれて浮きになっています。夏には各ロゼットに1〜2個の直径約1cm の4弁の白い花をつけます。棘のある独特の形をした果実は全体の幅が2〜5cmで、様々な形があり、左右の2本のとげ以外に前後に突起が発達する型もありイボヒシと呼ばれています。ヒシ属の分類は主に果実の形態によって行われますが、その形は多様で新種や新変種が次々と報告されています。ちなみに、果実に4本のとげがあり幅が2〜3cmのものをヒメビシ、3〜5cmのものをオニビシ、オニビシに似て葉柄が帯紅色で葉に毛が少ないものをメビシと呼んでいます。

 薬用としてのヒシは『名医別録』の中品に「芰実」の原名で収載されています。蘇頌は「芰は菱実のことである。旧くは産地を記していないが、今は処々にある。葉は水上に浮かび、花は黄白色で、花が落ちて実を生じ、漸次水中に向かって熟する。実には二種あり、一種は角が4本で、一種は2本である」と記し、明らかにヒシ Trapa japonica またはその同属植物の果実を示しています。李時珍は「その葉が支散しているものだから文字は支に従うのだ。その角が稜峭たるものだから蔆というのだが、俗に蔆角とも呼んでいる。昔は一般に区別していなかったが、ただ王安貧の武陵記に、三角四角のものを以って芰とし、両角のものを蔆としている」と述べ、果実の形の多様性について述べています。

 『食療本草』には「菱実は仙人が蒸して粉にして蜜を和えて食する。生で食せば薬性は冷利である。多食すれば人の臓腑を冷やし、陽気を損傷し、莖を痿えさす」と多食をいさめており、李時珍は「暑を解し、傷寒積熱を解し、消渇を止め、酒毒、射罔の毒を解す」と解熱、解毒の薬効を記載しています。現在では滋養強壮や解熱薬として用いられ、漢方処方には配合されていません。果実以外にも茎は「菱茎」、葉は「菱葉」、果柄は「菱蒂」、果皮は「菱殻」、果肉からとったデンプンは「菱粉」と呼ばれ、それぞれ薬用にされています。また、ヒシの実は食用としても利用され、中国ではさかんに栽培されています。栽培されているものとしては、食べやすいように大きくした品種改良種と思われるものや、とげのない果実をつけるツノナシビシ T. acornis などがあり、茹でて食べるのが一般的です。その味から英名は「water chestnut:水栗」と呼ばれています。台湾では焼いたヒシの実を屋台で販売しており、アイヌ民族はヒシの実を「ペカンペ」と呼び重要な食料としていました。また、佐賀県では米麹とヒシの実を発酵、蒸留した菱焼酎が作られています。

 水生植物の果実に由来する生薬として、他にもハスに由来する蓮実やオニバスに由来する芡実などがあり、これらはみなデンプンを多く含み滋養強壮作用に優れています。しかし、前述したように菱実の多食は禁物で下痢や消化不良を引き起こします。また、生食することもできますが、まれに殻の中に寄生虫が入っていることもあることから注意が必要とのことです。

 

(神農子 記)