ホーム > 漢方・生薬について > 生薬の玉手箱 > 掲載順検索 【山帰来(サンキライ)】
掲載順
西暦19年18年17年16年
15年14年13年12年11年
10年09年08年07年06年
05年04年03年02年01年
00年99年98年97年96年
95年94年93年92年91年
2019年上に戻る▲
7月オトギリソウ
6月シャクヤク
5月ジュウイシとヤクモソウ
4月ゴシュユ(2)
3月トウキシとケイジツ
2月ハクシジン・ハシクニン
1月カイカクとカイカ
平成30年 (2018年)上に戻る▲
12月コロハ/フェヌグリーク
11月ヒマシ・トウゴマ
10月オウフルギョウ
9月アマニン
8月ガイシとビャクガイシ
7月ヒハツ
6月ハコシ/ ホコツシ
5月セキリュウカヒとセキリュウコンピ
4月コズイシ
3月リョウジツ
2月ジョテイシ
1月ソウジシ
平成29年 (2017年)上に戻る▲
12月ソウキョウ
11月バトウレイ
10月ヤカン
9月コツサイホ
8月ゲンジン
7月コオウレン
6月ビャクゼン
5月バンランコン
4月カンツイ
3月ショウリク
2月ビャクキュウ
1月ロウドク
平成28年 (2016年)上に戻る▲
12月カンショウコウ
11月クセキ
10月ハゲキテン
9月ビャクブ
8月サンジコ・コウジコ
7月ハクトウオウ
6月タイゲキ
5月テンマ
4月サンリョウ
3月タンジン
2月サンシチニンジン
1月ジャショウシ
平成27年 (2015年)上に戻る▲
12月カントンニンジン
11月シツリシ
10月シュクシャ
9月サンソウニン
8月ショウズク
7月カッコウ
6月トコン
5月オウヒ
4月ニクジュウヨウ
3月オウセイ
2月ニクズク
1月インヨウカク
平成26年 (2014年)上に戻る▲
12月ベラドンナコン
11月アンソクコウ
10月ボウイ
9月アロエ
8月ホミカ
7月アラビアゴム
6月ヤクチ
5月アセンヤク
4月ジョチュウギク
3月ラクセキトウ
2月カミツレ
1月ヤミョウシャ
平成25年 (2013年)上に戻る▲
12月エキナケア
11月ボクソク
10月センプクカ
9月フヒョウ
8月ジンギョウ
7月ブクリュウカン
6月ゼンコ
5月ボウショウ
4月シンキク
3月ジョウザン
2月ハズ
1月シャチュウ
平成24年 (2012年)上に戻る▲
12月ジャコウ
11月バクガ
10月シクンシ
9月チユ
8月シオン
7月ビンロウジ・ダイフクヒ
6月サンズコン
5月コウホンとワコウホン
4月タイシャセキ
3月ビャッキョウサン
2月ウワウルシ
1月モツヤク
平成23年 (2011年)上に戻る▲
12月ボウチュウ
11月ロホウボウ
10月コンブ
9月チンジュ
8月ゲンチアナ
6月コウカ
5月カントウカ
4月ハンロウ
3月タイソウ
2月ニュウコウ
1月カンゾウ
平成22年 (2010年)上に戻る▲
12月ジンコウ
11月ゲッケイジュヨウ
10月ショクエン・ジュウエン
9月センソウ
8月スイテツ
7月セッケツメイ
6月クレンシ・クレンピ
5月モクツウ
4月ブンゴウ
3月トウニン
2月ハンピ
1月ショウコウとカイショウシ
平成21年 (2009年)上に戻る▲
12月ス・クシュ
11月ライフクシ
10月ジリュウ
9月ショウキョウ・カンキョウ
8月クコシ・ジコッピ
7月ショウバク
6月コショウ
5月ソウハクヒ
4月キョウニン
3月ガイヨウ
2月オウバク
1月ボレイ
平成20年 (2008年)上に戻る▲
12月サンヤク
11月サンシシ
10月カッコン
9月ヨクイニン
8月ゴマ
7月ダイズ
6月レイシ
5月デンシチ
4月ダイサン
3月ヨウバイヒ
2月オウレン
1月ケイヒ
平成19年 (2007年)上に戻る▲
12月モッコウ
11月キョウカツ
10月チャヨウ
9月ゾクダン
8月ハチミツ
7月ガイヨウ
6月ヘンズ
5月ソボク
4月フクボンシ
3月ハマボウフウ
2月オンジ
1月ゴマシ
平成18年 (2006年)上に戻る▲
12月サンシュユ
11月ジオウ
10月ヤカン
9月オオフルギョウ
8月サフラン
7月アロエ
6月ケンゴシ
5月セッコツボク
4月タラコンピ
3月ニンドウ
2月カシ
1月シツリシ
平成17年 (2005年)上に戻る▲
12月ジャショウシ
11月セキリュウヒ
10月ビャクシ
9月ブシ
8月コウボク
7月チョウトウコウ
6月ウコン
5月シャクヤク
4月カシュウ
3月サンソニン
2月ドッカツとキョウカツ
1月サンショウ
平成16年 (2004年)上に戻る▲
12月アセンヤク
11月トウガシ
10月チクジョ
9月モッカ
8月ケンジツ
7月テンナンショウ
6月アカメガシワ
5月ガイハク
4月リョウキョウ
3月ビワヨウ
2月ブシ
1月リュウガンニク
平成15年 (2003年)上に戻る▲
12月カッセキ
11月セキレンシとレンニク
10月マンケイシ
9月ヤクモソウとジュウイシ
8月ニンジンとコウジン
7月センブリ
6月トシシ
5月カノコソウ
4月センソ
3月ユウタン
2月コウベイ
1月セッコク
平成14年 (2002年)上に戻る▲
12月ガイシ
11月シャジン
10月エンメイソウ
9月ゼンタイ
8月コウイ
7月カッコウ
6月キンギンカ
5月ホコウエイ
4月ウヤク
3月ゴボウシ
2月サンザシ
1月キバンとベッコウ
平成13年 (2001年)上に戻る▲
12月ビャクゴウ
11月チョウジ
10月ジフシ
9月テンモンドウ
8月ホオウ
7月テンマ
6月ビャクシ
5月エンゴサク
4月オウヒ
3月センナ
2月トウヒ
1月セキショウズ
平成12年 (2000年)上に戻る▲
12月シコン
11月キクカ
10月ボレイ
9月トウガラシ
8月ケンゴシ
7月オウセイ
6月セキショウコンとショウブコン
5月ウコン
4月カンシツ
3月シテイ
2月カンゾウ
1月イレイセン
平成11年 (1999年)上に戻る▲
12月チモ
11月アキョウ
10月リュウコツ
9月ショウマ
8月トウジン
7月ケイガイ
6月チョレイ
5月トチュウ
4月セッコウ
3月オウギ (2)
2月タンジン
1月チョウトウコウ
平成10年 (1998年)上に戻る▲
12月ゴオウ
11月チクセツニンジン
10月ランソウ
9月ハッカ
8月シュクシャ
7月コウブシ
6月インチンコウ
5月クコ
4月ボウイ
3月カロコン
2月サンヤク
1月ケイヒ
平成9年 (1997年)上に戻る▲
12月リュウタン
11月タイソウ
10月ショウキョウ・カンキョウ
9月ハイショウ
8月モクテンリョウジツ
7月ボウコン
6月センコツ
5月レンセンソウ
4月バイモ
3月マクリ
2月マシニン
1月ナンテン
平成8年 (1996年)上に戻る▲
12月チクヨウ
11月ニンジン
10月エイジツ
9月ヨクイニン
8月ウバイ
7月ダイオウ (2)
6月ブクリョウ
5月インヨウカク
4月ロートコン
3月シンイ
2月セネガ
1月シャゼンシとシャゼンソウ
平成7年 (1995年)上に戻る▲
12月オンジ
11月アマチャ
10月キササゲ
9月ニガキ
8月ケツメイシ
7月ゴシツ
6月ソヨウ
5月オウギ
4月ソウハクヒ
3月ゴミシ
2月クジン
1月モクツウ
平成6年 (1994年)上に戻る▲
12月ガジュツ
11月サンキライ
10月ボウフウ
9月ジュウヤク
8月ゲンノショウコ
7月カゴソウ
6月サンシュユ
5月ゴシュユ
4月トウニン
3月キョウニン
2月サンシシ
1月サイシン
平成5年 (1993年)上に戻る▲
12月トウキ
11月センキュウ
10月オウレン
9月ハンゲ
8月コウカ
7月サイコ
6月ボタンピ
5月シャクヤク
4月レンギョウ
3月ビンロウジとダイフクヒ
2月キジツとキコク
1月チンピとセイヒ
平成4年 (1992年)上に戻る▲
12月ソウジュツとビャクジュツ
11月バクモンドウ
10月サフラン
9月キキョウ
8月ジギタリス
7月ウイキョウ
6月オウゴン
5月タクシャ
4月ジオウ
3月モッコウ
2月クズ
1月ダイオウ
平成3年 (1991年)上に戻る▲
12月マオウ
11月コウボク
10月オウバク

生薬の玉手箱

生薬の玉手箱

 【山帰来(サンキライ)】  平成6年11月15日号より

基源:Smilax glabra Roxburgh(ユリ科 Liliaceae)の塊茎

 『和漢三才図会』に「楊梅瘡(梅毒)の重い者は山に捨てられる風習があったが,土茯苓を服し治って帰って来たところから"山帰来"と名付けられた」とあります.土茯苓は古来梅毒と縁の深い生薬で,室町時代(1338年〜1573年)にすでに梅毒の治療に使用されていたという記載があります.『和漢三才図会』の記事から察すると土茯苓と山帰来は同物異名品ですが,名称に関しては,「山帰来」は土茯苓の別名「山奇粮(糧)」から訛化したとする考えや,室町時代の遣明船によりもたらされたものが「山帰来」とよばれていたとかする説があり,また我国に産する代用品に「山帰来」があてられたとする説もあります.

 一方,『用薬須知』(1726年 松岡恕菴)には「土茯苓漢を用いるべき.和に之無し.和の山帰来は拔契なり.山帰来というもまた和名にして漢名にあらず.しかれども効用甚だ相遠からず−−−薬用する事甚だ稀なり」とあり,「山帰来」は和名であり,現物は漢薬「拔契」すなわちサルトリイバラ Smilax china Linne であるとしています.『増補手板発蒙』(1824年,大坂屋四郎兵衛)にも,土茯苓の漢種が享保年間にもたらされたという記載があることから,土茯苓と山帰来はやはり違った薬物であったことが窺えます.

 中国でも稀用生薬であったためか,「土茯苓」が本草書に正式に取り上げられたのは,李時珍の『本草綱目』が最初です.そこでは陶弘景が「南方の平沢に禹餘糧の一種があり,藤性で葉は拔契のようで根は塊状で節があり,拔契に似て色が赤く,味が薯蕷(ヤマノイモ)の様な物だ.やはり禹餘糧といっている.昔禹が山岳を跋歩した際,これをとって食糧とし,余りを捨てていったものがこれだと言い伝えられている」と記しているものが「土茯苓」であると述べられています.しかしこのものは,食用になるという点から現在の禹餘糧(鉱物生薬)ではなく,ヤマノイモ科の植物であると考えられています.李時珍は「茯苓の様な形をしているので土茯苓と名付けられた」とし,当時の土茯苓が現在のものと同じであったか否かは疑問が残ります.李時珍が言うように形から名称が名付けられたためか,異物同名品が多く,中国でも古くから混同していたものと考えられ,その状態がわが国へも影響したと考えてよさそうです.

 「拔契」と「山帰来」は昔からよく混同されていました.徳川幕府は国産薬(和薬)の流通機構の整備と検査をはかるために,『和薬種六ヵ条』(享保7年,1722年)の公布に際し市場調査を行いましたが,このとき大坂の薬問屋代表は「近年,唐山帰来(土茯苓)の輸入がなく市場は高値となっている.薩摩の売船が和産の山帰来を積んで上方(関西)へもってきているが,そのなかで琉球産というものは優れてよろしく,唐山帰来と同質のようである.薩摩産はそれより劣るが,両方とも山帰来と称して良いと思う.そのほか西国諸山のものは拔契と思われる.云々」という報告をしています.幕府はこれに対し「琉球産・薩摩産の極上のものは今後商売して差し支えない.ただし拔契とみられるものは混和して売らぬように」と返答しています.当時は正品以外のものの使用を認めねばならないほど梅毒が蔓延し,「山帰来」の需要が高かったのでしょうか.また,ヨーロッパ諸国にも"China root""Chinawurzel""Radix China""China wortel"と呼ばれる生薬が中国から伝えられたとされ,これに「土茯苓」をあてる説もあり,ヨーロッパへの「土茯苓」の供給が増したから我国への流通が減ったのではないかといった報告もあります.

 李時珍によると「土茯苓」は,弘治・正徳(1488ー1521)の頃から流行していた楊梅瘡の要薬とされました.また,ヨーロッパでは,『ワートル薬性論』に「梅毒にも使用されるようになったが,梅毒の治療薬としては長続きせず,最近では発汗剤に加えたり軽症の慢性リウマチに用いる程度である」といったことが書かれ,梅毒にはさほど有効ではなかったことが窺えます.もっとも中国でも「土茯苓」は直接的な梅毒治療薬というよりも,その当時梅毒治療にも利用されていた皮膚病薬の軽粉(塩化第一水銀)の水銀毒による害を防ぐために用いられていたようです.最近では抗癌作用があることがわかり,さらに詳しい研究が期待されています.

 現在「土茯苓」は主に湖南省,広東省に産し,中国市場には2種あり,断面が白色を呈するものを「白土茯苓」「白土苓」,紅色を呈するものを「紅土茯苓」「紅土苓」と称します.正品「土茯苓」は後者の方で,淡褐色で,粉性が強く,繊維の少ないものが良品とされます.

(神農子 記)