蒲公英は唐代『新修本草』に蒲公草の原名で「婦人の乳癰や腫水に煮汁を飲むと,これらを封じてたちどころに消える。一名,講褥草」と記載されました。生薬名については,宋代以降の医方書や本草書に,鳧公英,僕公罌,鶉鴣英,地丁,金簪草,蒲公丁などが載せられ,さらに地方によって白鼓釘,耳瘢草,狗乳草などの名称があり,別名が多いことは身近な薬用植物であったことを物語っています。現在の生薬名「蒲公英」の名の由来は,宋代の『図経本草』中で「僕公罌」の訛化であると記されています。すなわち植物に傷をつけると乳液が出る様子が罌(ケシ)と同じであり,また罌と呉音が同じであることから英になったというわけです。
効能については,『図経本草』に内用薬以外に,草を搗き潰して傷に塗布するなど,外用薬としての利用も窺がえます。現代の中医学では,清熱解毒薬に分類され,乳腺炎のみならず,皮膚化膿症,急性虫垂炎などの化膿性疾患や急性結膜炎,眼瞼炎など肝火上炎による目の充血,腫脹,疼痛時の洗眼に用いられます。一方,民間的には,産後の乳汁の出の悪い人に煎じて飲ませることや,腫物に煎じて服んだり,またすり潰したものを患部に貼る方法などが伝えられています。
茎を切ったときの白汁が乳汁をイメージさせることが何とも印象的で,古来本草書には必ずといっていいほどその特徴が記載されてきました。ただし,乳液はタンポポのみならず,キク科タンポポ亜科植物の大きな特徴であることから,同亜科の植物数種が異物同名品として知られています。とはいえ,『新修本草』に「葉は苦苣のようで花は黄色い」と記されていることから葉はノゲシ(Sonchus属)のように深く切れ込んでいたことがわかり,また『図経本草』の附図を見る限り茎は非常に短くて葉はロゼット状で,茎葉がなく,蒲公英の原植物はまぎれもなくTaraxacum属植物であったことが判ります。
わが国では一般に「蒲公英根」と称して根だけが同様に用いられ,従来は主としてカンサイタンポポ(T.japonicum)が香川県や徳島県で採集されてきました。しかし,近年は帰化種のセイヨウタンポポ(T.officinale)の生育量が増え,薬用に利用されるようになっています。セイヨウタンポポは夏に休眠することなく,四季咲きで,刈られてもすぐに新しい葉を出して光合成を続け,種子の重さは日本の在来種の約半分で飛散しやすく,タネは幅広い温度域でいつでも発芽し,また発芽後半年の小さい個体でも花をつけることなど,在来種に比して繁殖力が強く,また在来種よりもアルカリ土壌に適応しているため,道路際や開拓地などの荒れ地に多く生えています。また,根も枝分かれして太くて立派に育ちます。土地開発が進むにつれ,わが国の蒲公英の基源も次第に帰化種に変化していくのでしょうか。
ところでタンポポはヨーロッパでも身近な植物です。セイヨウタンポポの英名はdandelion(ライオンの歯),フランス名はピッサンリ(pissenlit,寝小便),属名のTaraxacumはアラビア語「tharakchakon(苦い草)」に由来し,利尿,苦味薬として親しまれてきました。11世紀〜16世紀の間にヨーロッパ諸国でも局方薬物として確立され,現在でもハンガリー,ポーランド,ソビエト連邦,スイス薬局方などに収載されているなど,ヨーロッパで最も身近で有用な薬用植物となっています。