甘草は『神農本草経』の上品に収載され,解毒や諸薬の調和など多数の効を有し,「国老(皇帝の師の意味)」とも称される重要な生薬です。日本にもたらされた時期は不明確ですが,正倉院薬物として現存していることから,8世紀にはすでに日本にあったことがわかります。正倉院薬物の調査結果によると,甘草は当初は960斤納められていたのですが,100年後には45斤2両にまで減っており,この間に多量に消費されていたそうです。このことから,甘草は当時から需要の高い薬物であったことが伺えます。現在の日本においても,漢方処方中に配合される生薬の中で,甘草は最も配合機会が多い生薬です。また,主要成分であるグリチルリチンの製剤や甘草エキスなど多数の製品が製造販売されています。さらに,甘草は甘味料や醤油の味付けにも使われています。このように,甘草は古くから現在に至るまで繁用され続けている生薬です。
甘草の原植物である Glycyrrhiza 属植物(以後カンゾウ)は日本に自生せず,国内の需要は,これまで輸入に頼ってきました。しかし,近年,主な輸入相手国であった中国が,野生甘草の採取や輸出に関する規制を強化しつつあります。規制強化の背景には,甘草の中国内外での需要の高まりにともない野生のカンゾウが乱獲され,環境破壊や資源の枯渇が深刻な問題になってきたことがあります。カンゾウは地表面に水分がほとんど存在しない乾燥した地域に生育しており,地下水脈など地中深くの水分を利用して生きています。そのため,カンゾウの根茎は水平に四方に伸び広がるとともに,根は下方に深く伸びています。そこで,薬用部位である根茎や根を採集するためには,大きく深い穴を掘る必要があり,カンゾウを採集することにより周囲の環境が大きく破壊されてしまうのです。そのため,生育地は砂漠化し,風により上空に舞い上がった砂は現地では砂嵐となり,また黄砂の一因にもなっています。
以上のような事情から,今後日本において甘草の入手がより難しくなる恐れがあります。現在中国ではカンゾウの自生地などで栽培が行われていますが,日本薬局方カンゾウにおけるグリチルリチン酸含量の規定値(2.5% 以上)を超える薬材を産出するのには数年かかることが知られています。そこで,近年,日本においてもカンゾウの栽培研究が行われつつあり,最近では,大学,研究所,企業の共同研究成果として,水耕栽培により,短期間でグリチルリチン酸含量の規定値を超える根が生産できることが発表されました。今後,研究がさらに進み,国内で需要がまかなえるようになることが期待されています。
カンゾウの栽培は,かつては日本においても行われていました。江戸時代の享保五年(1720)に,甲州上於曽村(現在の山梨県塩山市)の伊兵衛の屋敷でカンゾウらしきものが栽培されているのが見つかり,幕府が専門家にその植物を調査させところ,本物のカンゾウであることが確認されました。折しも幕府は財政を立て直すために国産品生薬を奨励していましたので,上於曽村のカンゾウに対して費用などを拠出し,保護,栽培の拡大を行ったといいます。伊兵衛の屋敷は,その後一般に「甘草屋敷」と称されるようになりました。一方,甘草が甲州で栽培されていたという記録は大永五年(1525)の薬種寄附状の記載にまで遡るともいわれており,甲州ではかなり古くからカンゾウが栽培されていたようです。江戸時代に甘草の生産は幕府の保護のもとに行われており,その製品は幕府に納められていたといいます。しかし,江戸時代から現在に至る間にカンゾウの栽培は廃れ,現在の日本では商業的な規模での栽培は行われていません。
甘草は重要な生薬であることから資源枯渇の問題は一層深刻ですが,甘草以外にも資源的に対処すべき生薬は数多くあります。今後はそのような生薬にもスポットをあて,栽培化に向けた研究など,早急な資源確保対策の推進が望まれます。