葛根は『神農本草経』の中品に収載される生薬で,「味が甘,性が平,消渇,体表の熱,嘔吐,諸麻痺を主る.陰気を起こし,諸毒を解す.」と記されています.葛根の原植物であるクズPueraria lobata はつる性の植物で,日当たりがよい明るい低山地や土手などに縦横無尽に広がっている様子がよく見られます.夏から初秋に穂状の花序に赤紫色の蝶形の花が咲き,葉は大きく,長さ10〜20cmの3つの小葉からなり,とても目立つ植物です.クズは秋の七草のひとつとして『万葉集』に歌が詠まれていることから,古の人にもその姿が好まれていたようです.クズの根は葛根と呼び薬用とされ,「葛根湯」などの処方に配合されています.「葛根湯」は日本では馴染み深い漢方方剤のひとつで,落語にも「葛根湯医者」という演題があるほどです.現在薬局ではいくつかの葛根湯エキスの製剤が販売され風邪の初期症状や肩こりなどに使用されています.
葛根は漢方方剤に配合して煎じて用いるほかに,生の根の汁も用います.『本草綱目』の「附方」には,「心熱吐血に生の根の汁をそのまま飲む.」,「酒の酔いが醒めないときには,生の根の汁を飲む.」などと記されています.一方,根以外の部位も薬用にされ,花は「葛花」という生薬名で,「小豆花の末と共に酒で服す.酒を飲んでも酔わない」と紹介され,葉は「金瘡の血止めに揉んでつける.」と述べられています.さらに葛澱粉である「葛粉」は「煩燥,熱渇や,小児の嘔吐に,よく煮て,お粥とともに食べるとよい.」と記されています.日本の民間療法でも,クズの根の生の汁を,吐血した場合や二日酔いに用いたり,花を煎じて二日酔いに用いたり,葉のしぼり汁を外傷による出血に用いたりすることなどは,『本草綱目』の記載と一致します.なお,『本草綱目』中には紹介されていませんが,日本では,「葛粉」をキハダ,クチナシなど他の薬用植物と合わせて練り,外傷による出血,あせも,打撲などに外用することもなされていました.
また,李時珍は,陶弘景の「南康,盧陵のものは立派なもので,肉が多く筋が少なく,味が甘美だが,ただ薬としては思わしくない.」という説を引用し,食用として美味しい葛根は薬用としては効果が劣ることを述べています.また,蘇恭の「根の土中五六寸位までのところは葛◎(◎は、月へんに豆)(かっとう)と名づけるもので,これを服すれば人を吐かせる.微毒があるからだ.」の説を引用し,さらに蘇頌の「五月五日の午時に根を取って曝乾する.土中に深く入ったものほどよい.」の説を引用し,薬用の葛根として適切な採集時期,採集部位があることを説いています.葛根の採集時期については,『名医別録』に「五月」と記載されて以後,宋,明代にいたる本草書には「五月」,「五月五日」すなわち初夏であると記されていましたが,現代の中国や日本では葛根は冬期に採集されており,時代による変化が認められます.本草考証の結果では葛根の採集時期が変化したのは,元あるいは明代であり,その主な原因は冬に採集される食用の葛根との混乱であったと考察されています.このことは,薬用にする葛根と食用にする葛根は採集時期を区別するべきであることを示唆しています.したがって,『傷寒論』や『金匱要略』のような古代の医方書に記された処方には初夏に採集した葛根を調剤すべきであると考えられます.
また葛根の薬味薬性は,『神農本草経』以来,中国の多くの本草書で「甘平」と記されていましたが,『本草綱目』で初めて「甘辛平」と記されています.日本の江戸時代に書かれた『薬性能毒』や『和語本草綱目』などでは,葛根の薬味薬性は,「甘辛平」と記されていることから明らかに『本草綱目』の影響が伺えます.
クズは,食用になり,昔から救荒作物としても重要視されてきた植物です.「葛粉」は,クズの根を搗いて,水中に入れ,揉みだし,上澄み液を捨てることを繰り返して製造され,奈良の吉野の葛粉が有名です.「葛粉」から作った「葛餅」,「葛きり」などは甘味として人気があります.クズは,厄介者な雑草とされることもありますが,古くから現代にいたるまで人々の生活には欠かすことができない利用価値の高い身近な有用植物です.