桃仁は読んで字のごとく「モモの種仁」です.モモがわが国にもたらされたのはずいぶんと古く,弥生時代にまでさかのぼるといわれています.おそらく果肉を食用にしたものでしょうが,古来モモの核果(堅いタネ)には,邪悪を追い払う力があると考えられ,不老長寿や,子孫繁栄を願う宗教儀式などに使用されました.桃の節句はその風習のなごりで,子どもたちの健康を願ったものです.また一部の地方ではお嫁に行くときにモモの核果を持たす習わしがあるそうです.
現在わが国で食用に栽培されているモモは,明治8年に中国からもたらされたものを品種改良したものですが,それより以前に生薬としてもたらされたタネから生えたものがノモモであったとされています.ノモモは乾燥した土地に育つ植物で,日本では発芽しても多くは病気にかかり生育が良くないそうです.局方には,中国から輸入されるものも含めて原植物が規定されています。
モモの原産地は,種小名の persica の名が示すように,初めはペルシャ地方と考えられていましたが,19世紀になって中国の黄河上流の西北地域であることがわかり,現在ではこれが定説となっています.
モモの核果中の仁である生薬「桃仁」は,野生種に近いものの品質がよいとされています.野生種に近いモモは長野県の伊那谷などにみられますが市場性はなく,現在ではほとんど中国から輸入しています.中国では各地に産しますが,生薬はとくに四川,雲南,河北,陝西,山西,河南などの各省に多く産します.桃仁の採取用にはなるべく原種に近い品種を選び,楕円形によく肥大し,外皮が褐色で内部が白色を呈する新しいものがよく,また一般に外皮を除いたものを良品とします.外皮のついた種子を湯に浸すと皮とともに尖り(胚の部分)も一緒に除かれるのは杏仁の場合と同じで,すなわち薬用には子葉の部分のみが適していることになります.外面が暗褐色のものや,痩せて薄いものは不良品で,また古いもの,虫の食ったもの,さらに双仁(1核果の中に2個の種子がある)のものは用いてはいけないとされます.なぜ双仁のものが良くないとされたかは疑問ですが,古文献には杏仁と同様に「人を殺す」とあります.自然の恵みたる生薬としては,不自然なものは敬遠されたのでしょうか.最近ではホルモン剤を使用して実を大きくした栽培品の中に双仁のものが多くみられるそうです.また自然界ではノモモには双仁が多いとされています.
食用のモモは接ぎ木で増殖しますが,接ぎ木苗はその本性を失っているとされ,薬用には適していないと考えられてきました.『古方薬品考』,『古方薬義』,『図解本草』などでは,そろってニガモモ(毛桃)の品質をよしとしています.『図解本草』では「桃に数種あり.ただ山中の毛桃を用いる.実小にして毛多く核粘し.味悪くその仁充満して脂多きものを薬に入れ用ゆべし」とされ,これは外面不足しているものは内面が充実していると考えられていたからのようです.
桃仁の薬効に関して,『和漢三才図絵』には「一つ,熱が血室に入るを治すなり.二つ,腹中の滞血を泄すなり.三つ,皮膚の血熱燥痒を除くなり.四つ,皮膚凝聚の血を行らすなり」と4種が挙げられています.また修治に関して,李時珍は「桃仁は血を巡らすには皮尖りを連ねて生にて用いるのがよい.燥を潤し血を活するには湯に浸し皮尖りを去り炒り黄にして用いるのがよい」と記し,使用目的によって修治方法を変えるべきであることを述べています.修治の是非は今後の課題でしょう.