巴戟天は漢方薬に配合されないため日本ではなじみの薄い生薬ですが、中国では強壮薬として良く知られ、何処の生薬店でも見られるほど一般的な薬物です。
巴戟天の歴史は古く、中国最古の薬物書である『神農本草経』の上品に「味は甘くて辛味もあり、服用するとわずかに体を温かくし、主に邪悪な風によっておこる病気やインポテンツを主治し、また筋骨を強くし、五臓を安んじ、消化吸収機能を良くし、志を増し、気を益す」と記載があります。現代中医学では、体を補益する薬物として、腎陽虚(腎の元気が衰えた状態)による頻尿や尿失禁、また腎虚による神経痛、リウマチ、腰膝の疼痛、軟弱無力、筋肉の萎縮などの治療に応用されます。淫羊藿(メギ科のイカリソウの仲間の葉)に似た効能を有するとされますが、淫羊藿に比して性質が柔順で発散させる力や陽を強くする作用が弱く、また温めて煩燥させる性質も弱いことから、婦女の生殖器の冷えによる不妊症、月経不調、下腹の冷痛などに適するとされます。
原植物はMorinda officinalis Howと名付けられたアカネ科の蔓性植物で、中国南部の暖地に分布し、日本にはありません。根は湾曲した円柱形を呈し、直径約1~2cm。生薬は表面が灰黄色で太く浅い縦皺と深くくぼんだ横紋があり、所々で皮部が裂けて木部が露出し、その結果特徴的な長さ1~3cmの念珠状を呈します。『新修本草』に「苗を俗に三蔓草と呼ぶ。葉は茗に似て冬を経ても枯れず、根は珠を連ねたようだ。古い根は青く若い根は白紫だが用途はやはり同一だ。その連珠のような肉多く厚いものが勝れている」と記されたものは本植物のようですが、古来異物同名品が多く、我が国にも中国から様々なものが輸入され、一方で和産も開発されたようです。
異物同名品に関して、江戸時代に書かれた『用薬須知』後編に「和漢ともにあり、和のものには茶葉の巴戟というものと江戸で柳葉草という葉が丸くて狭いものの2種があり、又別に麦門葉の巴戟がある。種樹家はモジズリといい、他国ではネジクサという。漢渡の棒様の巴戟疑は是であろう。(中略)。京師のものは高さ一尺以上あり東国には高さ五、六尺になるものがある」また、同書の後編正誤では「葉の丸くて狭いものには二種ある。今は茶葉、柿葉、柳葉、桃葉、梔子葉の数種がある。また水巴戟は香附子の一名である」、さらに続編では「巴戟の根が紫色のものを紫巴戟という」など、多数の原植物の存在が示唆されています。いずれにせよ日本では根が念珠状をなす複数の植物が代用されていたようです。中国における異物同名品としてこれ迄に、ヒメハギ科のPolygala reinii、ラン科のネジバナSpiranthes spiralis、トウダイグサ科のEuphorbia chamaesyce、ゴマノハグサ科のBacopa monnieria などが報告されています。台湾でネジバナが民間的に強壮約として利用されているのはその名残かも知れません。
さて、沖縄を旅行すると果物の一種の“ノニ”を宣伝する看板をよく見かけます。テレビでも取り上げられたことがありますので、ご存知の方も多いと思います。実はこのノニが巴戟天と同じMorinda属植物なのです。ノニはもともと東南アジア~オセアニアにかけての熱帯地域に原産するM. citrifoliaの果実で、現地ではNoni、Nonu、Nonoなどと称され、日本では琉球諸島や小笠原諸島に分布し、和名をヤエヤマアオキと言います。ポリネシア諸島では古くから有用植物として、薬用、食用、染料などに利用されてきました。インドネシアの伝統医学であるジャムーではPace(パチェ)の名称で、果実が鎮吐、下剤、血圧降下剤として、葉が止血、解熱、皮膚を軟化させる目的で使用され、その他蛔虫駆除、去痰、鎮咳、通経にも用いられるなど、幅広い用途で利用されています。また、根がカゼをひいた時の処方に疲労回復薬として配合されます。
Morinda officinalisもヤエヤマアオキも、共に地下部が強壮薬的に使用されるという共通点に興味を覚えます。ヤエヤマアオキも今後の科学的研究が待たれる薬用植物のひとつでしょう。