「天麻」は古来,眩暈や痙攣,四肢の麻痺などに用いられ,高貴薬として著名で,現代中医学では平肝熄風薬に分類されています。
「天麻」が初収載された本草書は『開宝本草』で,「味辛平無毒。諸風の湿痺による四肢の痙攣や小児の風による癲癇やひきつけを治し,腰脚を利し,筋力を強くする。久しく服せば気を益し,身を軽くして年を長くする・・」とあります。一方,古来「天麻」は『神農本草経』上品収載の「赤箭」と同一物であるとされてきました。『本草綱目』では項目をひとつにし,現在でもそれが定説となっています。「赤箭」については『神農本草経』には「味辛温。鬼精物蟲毒の悪気を殺し治す。久しく服せば気力を益し陰を長じ,健肥し,身を軽くして年を増す・・」,『名医別録』には「癰腫を消し,支満を下し,疝の下血を治す」とあり,『開宝本草』の天麻の効能とは異なっており,果たして「天麻」と「赤箭」が同一物であるか否かにはいささか疑問が残ります。
採集時期について比較しても「赤箭」は『名医別録』では「三月,四月,八月に根を採って爆乾する」,『図経本草』では「三月,四月に苗を採集し,七月,八月,九月に根を採って爆乾する」と記され,一方の「天麻」は『開宝本草』では「五月に根を採る」,『図経本草』では「二月,三月,五月,八月に根を採る」と,両者の採集時期は微妙に異なり,また薬用部位も地上部と地下部の別があったようです。因みに現在,『中華人民共和国葯典2000年版』では,採集時期を地上部が枯れた立冬後〜清明前としています。ただ,現在市場には春に採集する「春麻」と冬に採集する「冬麻」の2種類があり,「冬麻」の方が良品とされています。このように,本生薬には古くから薬用部位や採集時期,また名称の混乱があったようですが,詳細は不明のまま です。
品質的には大型で淡黄色で,透明感の強いものが良質とされ,『中薬大辞典』によれば「冬麻」のしわは細くて少なく,「春麻」のしわは太くて大きいとされます。たいへん堅い生薬ですが,火であぶると軟らかくなります。
原植物のオニノヤガラはわが国にも自生し,その名称は太くてまっすぐに直立する茎を鬼の使う弓矢の軸にたとえたものです。薬用部である楕円体の塊茎は地下に横たわり,地上部は大きくなると1mを越えます。落葉樹林の林床に生え,菌類のナラタケと共生している腐生植物で,葉緑素はなく,全体に緑の部分はありません。
ところで,このオニノヤガラの地下部はわが国で野生品を見る限りはたった一つの塊茎が横たわっていますが,古来本草書には10や12の子があると記されています。『図経本草』に描かれた図の中で,「充州赤箭」の地下部には複数の塊茎が書かれ,もう一つの単に「赤箭」とされるものには唯一の塊茎が描かれています。わが国や中国の植物図鑑のいずれを見ても塊茎は唯一であり,複数個の塊茎が描かれたものはありません。しかし,以前中国で栽培物の天麻を見たとき,確かに多数の塊茎がついていておどろいた経験があります。その時は栽培するとそうなるのかと思っていましたが,他の同属植物の中にそうしたものがあるのかと図鑑を調べても,やはり見つかりません。
オニノヤガラの別名にヌスビトノアシというのがあります。根茎は確かに人の足に似ていますが,この別名は本種が毎年同じ場所に生えないことに由来しています。確かに昨年あった場所に出かけていっても,翌年には同じ場所に見つかりません。筆者にはいまだによく理解できない不思議な植物です。