最近、パクチーという野菜が知られるようになりました。パクチーはタイ語で、タイで一般的に使用されている独特の香りがある野菜の一種です。この植物は、日本では一般に「コエンドロ」と称されてきました。これはポルトガル語の「コエントロ」が訛ったもので、英語名は「コリアンダー」です。一般に知られるスパイスのコリアンダーは果実のことで、これが生薬「胡荽子」です。地中海東部原産とされ、現在では東南アジアのみならず、世界で最も広く栽培使用されている植物の一つとなり、とくにインドやイラン、ロシア、中南米などで果実採取を目的に大量に栽培されています。1年生草本で茎は直立し高さ 30 〜 80 cmで、根出葉は羽状に分裂し裂片は扇形になります。この葉がパクチーです。長く伸びた茎の上部につく葉は2〜3回羽状に深裂し、裂片は線形になります。開花は播種の時期にもよりますが4〜7月に小さな白い花を複散形花序状に咲かせ、その後7〜9月に結実します。
コエンドロは古くから薬用にされてきた植物です。古代エジプトのエーベルス・パピルスに記載があるほか、医学の父ヒポクラテスは『誓い』において「胸焼けを防止し催眠薬にもなる」と記載しています。中国では紀元前126年に張騫が西域から持ち帰ったとされることから「胡荽」と称されています。『本草綱目』では『農書』を引用して「胡荽は蔬菜中でも子と葉といずれも用い得るもので、生、熟いずれでも食える。甚だ世に益あるものだ。肥地に植えるが良い」と紹介され、古代中国でも古くから栽培して果実や葉を利用していたことがわかります。現在でも中国では若い葉を「香菜(シャンツァイ)」と称して薬味として多用しています。日本では『延喜式』に記載が認められますが、その強烈なにおいのためかほとんど利用されませんでした。この植物の葉は匂いや味に特徴があり、カメムシに似ているとも言われています。
胡荽子は直径3 mm程の球形です。2つの分離果が合生した状態になっているのはセリ科植物の果実の特徴ですが、形は同じセリ科の果実類生薬であるフェンネル(茴香)やクミン、アニスなどの長楕円形とは大きく異なります。褐色または淡褐色で先端は柱頭の後がわずかに残り、基部は時に小果柄が残っています。先端から基部を結ぶ稜線が認められます。甘くオレンジの様なさわやかな風味があり、香りは多く含まれるリナロールに由来し、スパイスとして肉料理やピクルス、パンなど多岐に渡り利用されています。薬用として使用される場合も矯味薬、芳香性健胃薬として利用されます。
『嘉祐本草』には全草の薬効として「穀物を消化し、五臓を治し、不足を補い、大小腸を利し、小腹の気を通じ、四肢の熱を抜き、頭痛を止め、痧疹(発疹の類)を療ず。豌豆瘡の出ぬものは酒にして飲めばたちどころに出る。心竅に通ずるものだ。久しく食すれば人をして多くを忘れさす」と記載されています。『本草綱目』では果実、すなわち胡荽子の薬効として「痘疹を発し、魚腥を殺す」と記載されています。実際、胡荽子は健胃、発表薬として消化不良、麻疹が発透せず不快なときなどに用いるようです。また歯痛には煎じ液で含嗽したり、痔瘡脱肛には焼いて患部を燻すとされています。
パクチーは少量を料理の付け合せとして各地で使用されてきた薬味です。近年の日本では多量を食べる人がいるようですが、『本草綱目』では「凡そ一切の補薬及び薬中に白朮、牡丹のあるものを服したものはこれを食ってはならぬ」、また古代中国の三国時代の医師である華佗の言葉として「口臭や脚気、金瘡(刃物による傷)の人はいずれも食ってはならぬ。病が更にますます甚だしくなる」と記載しています。一時のブームに乗じて適量以上に食べるのは避けたほうが良さそうです。