アンズArmeniaca vulgaris Lam. var. ansu (Maxim.) T.T.Yu et L.T.Luは,果肉を生でそのまま食べたり,干しあんず,ジャム,あんず酒などに加工します。種子は生薬「杏仁」として用いるほか,食用にもなり,中華料理のデザートとして日本で有名な杏仁豆腐(あんにんどうふ)は,杏仁の粉を寒天に混ぜて甘味をつけたものです。杏仁と杏仁豆腐で「杏」の読み方が異なるのは,「きょう」は「漢音読み」,「あん」は「唐宋音読み」をしているからで,よってアンズという植物名は「杏子」の唐宋音読みに由来しています。
アンズは3〜4月に淡紅色の花を葉より先に開きます。花の大きさは直径2.5cmほどで,花弁は5枚,八重咲きのものもあります。萼が強く反り返ることで,ウメやモモなど他のよく似た植物と区別できます。果実は球形で,6月ごろ橙黄色に熟し,中心部に固いやや扁平な「核(かく)」を有します。一般的にはこの「核」を「たね」と呼ぶことがありますが,本当の種子は核の中にあります。このような果実を植物学用語では「核果(かくか)」といい,モモ,ウメ,サクラの実もこれにあたります。アンズはまた果肉と核が離れやすいという特徴があります。アンズは日本には古くに中国から渡来したといわれており,現在の産地としては長野県の「あんずの里」が有名です。ホンアンズA. vulgarisは日本にはなく,中国に自生し,また栽培もされています。アンズによく似ていますが葉と果実がやや大きい点で異なります。中国では「杏仁」として,アンズ,ホンアンズ以外に,他の複数の同属植物の種子が流通しています。このことから,過去の『日本薬局方』では「杏仁」の原植物に「その他近縁植物」も含まれていましたが,第13改正第1追補以降でホンアンズとアンズに限定されました。なお,食して甘みのあるものを甜杏仁,苦いものを苦杏仁と呼び,前者を食用に,後者を専ら医療用に利用します。
「杏仁」の修治として,古来「皮尖を去る」という方法が行われてきました。先ず,杏仁を数分間ぬるま湯に浸して皮(種皮)を軟らかくし,杏仁の尖った部分をつまんで取り去り,膨らんだ部分を押すと簡単に皮が剥がれます。皮を剥がした後は,杏仁に含まれる脂肪油が酸化されやすくなることから,この修治は使用直前に行うのがよいでしょう。なお,『本草綱目』で李時珍が「風寒肺病を治療する薬の中には,皮尖をつけたまま用いることがある。その発し散ずる点を取るのである」と記しているように,処方によっては「皮尖」をつけたままの方がよい場合もあるようです。また古来,双仁(核の中に仁(種子)が2個ある)のものはよくないと言われますが,その理由について李時珍は「杏,桃などの花はみな五出であって,もし六出のものがあったときには必ず仁が2つある。常態に反したものだから毒があるのだ」と記しています。また,「杏仁」は「桃仁」,「梅仁」などと互いに形態がよく似ています。「杏仁」は使用に際し,鑑別,修治に注意を払わなければならない生薬の一つです。
「杏仁」は『神農本草経』の下品に「杏核仁」という名で,「咳逆上気,雷鳴,喉痺下気,産乳,金瘡,寒心,賁豚をつかさどる」と記載されており,また『名医別録』には「驚癇,心下煩熱,風気去来,時行頭痛。肌を解し,心下急を消し,狗毒を殺す」と記されています。「杏仁」を配合する処方には,杏蘇散,桂枝加厚朴杏仁湯,麻黄湯,麻杏甘石湯,五虎湯,潤腸湯,麻子仁丸など多数があります。李時珍は「主治」の項で,「(杏仁は)虫を殺し,諸瘡疥を治し,腫を消し,頭面の諸風気を去る」とし,また「発明」の項で,「よく散じ,よく降ろす。故に肌を解し,風を散じ,気を降ろし,燥を潤し,積を消し,傷損を治す薬の中に用いる。瘡を治し,虫を殺すにはその毒を用いるのだ」と意見を述べています。
『本草綱目』では「杏仁」に関する「附方」も多く,「咳嗽,浮腫,消化不良に杏仁をすりつぶしたものや煎じ液を内服する」「虫歯にすりつぶしたものをつめる」「顔や身体にできた疣や犬にかまれたときの傷などにすりつぶしたものを塗る」などのほか,神仙家が長寿の秘訣として用いる丸薬などが紹介されています。また,日本の民間療法にも杏仁は多く用いられ,「せき,息切れ,浮腫に煎じ液を内服する」「歯痛に黒焼にしたものを噛む」「犬の咬み傷にすりつぶした汁をつける」など,『本草綱目』の影響を受けたと思われる方法が知られています。「杏仁」は用途が多くまたよく使われる生薬ですが,李時珍が有毒であると指摘しているように,青酸配糖体を含んでおり,服用する際には注意して上手に利用したいものです。