塩は私たちが生命を維持するためには必要不可欠なものです。塩は体内で合成することが出来ないため、毎日の食事で摂取しなければなりません。口から摂取した塩は、やがて汗や尿などで体外に排泄されます。通常は、この塩の収支バランスが上手く保たれていますが、さまざまな要因によりバランスが崩れると体調に異変が生じます。猛暑であった今年の夏は、熱中症予防の対策として、梅干しやスポーツドリンクが例年以上に売れたそうです。また、塩は、日ごろの食生活の中で、その特性を生かして利用されています。防腐効果を期待して塩漬けにすることや、浸透圧による脱水効果を利用した、ナスやキュウリなどの塩もみは、日常的に行なわれます。
日本では、専ら海水からの製塩が行われています。海水には様々な成分が含まれており、煮詰めていくと、最初に硫酸カルシウム、続いて塩化ナトリウムが析出します。さらにしばらく煮詰めると、硫酸マグネシウムや塩化カリウムが析出します。海水中の成分では、塩化ナトリウムが最も大きな比率を占めています。そしてその次に多く含まれているのは塩化マグネシウムですが、これは容易には析出せず、最後まで、水溶液の中に残ります。この残った液体をにがり(苦汁)といいます。にがりは塩化マグネシウムを主成分とし、硫酸マグネシウムや塩化カリウムなども含まれます。
海水から塩を製造する方法は、その場所の気候により異なっています。乾燥した地域では、海水を塩田に引き込み、天日で水分を蒸発させて濃縮し、塩を得ています。一方、日本のように気候が湿潤な地域では、海水よりも濃い塩水(鹹水)をとる(採鹹(さいかん))と、その鹹水を火力で煮詰める(煎敖(せんごう))という二つの工程を経て製塩されます。日本の製塩では、特に採鹹方法において、時代による変遷がみられます。古代には、海藻を用いて海水を濃縮する、「藻塩焼き」が行われていました。その後、海藻の替わりに浜の砂を使う濃縮方法に変化し、平安時代には、揚浜式塩田による採鹹が始まり、また、江戸時代になると、入浜式塩田が発達しました。前者は、海の水を人力で塩田に汲み上げるのに対し、後者は、潮の干満を利用して自動的に塩田に海水を引き入れる点が大きく異なります。昭和20年代後半には、流下式塩田が開発されました。これは、枝条架の上から海水を滴下する間に、風力で水分を蒸発させるという方法です。その後、昭和40年代には、電気とイオン交換膜を利用して鹹水を作る、イオン交換膜電気透析法に統一され、工場で生産された塩が使われるようになりました。近年日本では、塩の専売制度が廃止され、それ以降、昔ながらの方法で作られた塩、あるいは、海外から輸入された岩塩など、さまざまな塩を利用できるようになっています。
塩の原料には、海水以外に、岩塩、地下鹹水(かんすい)、塩湖水などがあります。岩塩は、塩湖の水分が蒸発し、湖底に析出した塩が層を形成し、さらにその層が地中に埋没して長い時間を経て形成されたものです。塩湖には、地殻の隆起や海水面の変化により海の一部が陸地内に取り残されてできたもの、塩分濃度が高い土地に析出した塩が、雪解けなどの水に溶けて溜まったものなどがあります。地下水により岩塩から溶けだした濃い塩水、あるいは岩塩になる過程で地下に埋もれた塩水などを地下鹹水といい、これが湧き出すと塩泉となり、また井戸(塩井)を掘って汲みあげて利用しています。
塩は薬としても重要で、『名医別録』には「食塩」の名称で、「鬼蠱、邪【作字:病ダレに主】の毒気を殺し、下部の【作字:匿の下に虫】瘡、傷寒寒熱、胸中の痰癖を吐し、心腹の卒痛を止め、肌骨を堅くする」と収載されています。中国には古くから様々な塩があり、『本草綱目』で李時珍は、「塩には品等が甚だ多い。海塩・井塩(井戸から汲み取って作る)・池塩(塩水を陸地に引き入れて晒して作る)・鹻塩(塩を含んでいる土壌をから作る)・崖塩(岩塩)がある」と記しています。「食塩」は単味で用いることが多く、『本草綱目』には、数多くの「附方」が記されています。附方の中には、目を明らかにし、歯を強くする効用が記されていますが、これと同様の方法は、日本の江戸時代の『本朝食鑑』や『大和本草』にも見られます。また、塩に関する生薬として他に、『神農本草経』の下品に「戎塩(じゅうえん)」が収載されており、「目を明らかにする。目痛、気を益し、肌骨を堅くし、毒蠱を去る」と記されています。「戎塩」は『金匱要略』出典の「茯苓戎塩湯」に、茯苓、白朮とともに配合され、小便不利の治療に用いられます。「戎塩」の基源は、益富によると、中国西北地方の塩湖、土壌から取れる塩とされています。塩は、摂りすぎると血圧が上昇することがあり、不足しても他の病気になることも考えられます。「塩梅」という言葉があるように、適切な量の塩を摂るように心がけることが重要です。