牽牛子は『名医別録』の下品に,「味苦寒,有毒。気を下し,脚満,水腫を療治し,風毒を除き,小便を利す。」と収載されました。名前の由来について陶弘景は,「この薬は農民の間で使用が始まったもので,人々はこの薬を交易するために牛を牽いて出かけたので牽牛子というのだ」と述べています。
現在,牽牛子の原植物としてアサガオを当てるのが一般的ですが,陶弘景は「花の形は扁豆のようで,黄色く,子は小さな房を作る」と記しており,アサガオの形態とは異なる植物を示しています。しかし,『新修本草』では,「花はヒルガオに似ており,碧色で,黄色ではなく扁豆にも似ていない。人々は原植物を秘密にしていて,陶氏は実物を見ることなく誤った情報を書き広めたのだ」としています。『開宝本草』では加えて蔓性であること,子には黄色い殻が有り,実は黒いことなどが記され,さらに『図経本草』では,「葉は三尖角で,8月に結実し毬のように白皮に包まれ,中には4〜5個の子があり,蕎麦大で,白黒の二種がある」と記されており,牽牛子の原植物がアサガオであったことは間違いなさそうです。アサガオは,熱帯アジア原産の植物で,李時珍は「牽牛は宋以後に北方人の間で常にその快速なる一時の効力を好んで下剤として用いられるようになった----東漢の時代にはこの薬はまだ本草書の中に編入されていなかったので,仲景も知らなかったのだ」と述べており,陶弘景の時代になってもまだ原植物が中国全土には広まっていなかったものと思われます。
現代中医学では,激しい下痢を引き起こして大量の水を排出させる峻下逐水薬に分類されます。ただ作用が非常に激しいために古来使いにくい生薬であったようです。『本草衍義』には「牽牛丸を服すれば大腸の風秘壅結を治するが,久しく服してはならない。やはり脾や腎の気を失わせるからだ」とあり,また李時珍も「牽牛は,水気が肺にあって喘満し腫脹し下焦が鬱遏して腰や背が脹重するものや,大腸の風秘気秘を治するに卓然たる殊功のあるものだ。しかし,ただ病が血分にあるものや,脾や胃が虚弱して痞満するものには一時の快効だけをとってはならないのだ。また常服すると知らぬ内に元気を損なうものである」とするなど,多くの書物で安易な使用を戒めています。
また,牽牛子には白・黒2種のあることが知られ,朱震亨は「牽牛は火に属して善く走るものだが,黒い色は水に属し,白い色は金に属するものであって,病形と証とともに実して脹満せず,大便の秘せぬものでないかぎりは軽々しく用いていはいけない。その駆逐する作用でもって虚を惹起する。先哲は深く戒めている」と,ここでも牽牛子の安易な使用を戒めていますが,古来白・黒の使い分けはそれほど厳密ではなかったようで,昨今の中医学でも区別することなく使用しています。
「あさがおにつるべとられてもらい水」。夏の風物詩として馴染みの深いアサガオは,奈良時代に薬用を目的にわが国にもたらされたとされますが,移入後はもっぱらその花が愛でられ,江戸時代には鑑賞用に多くの品種が開発されました。薬物としては利用しにくいアサガオですが,花の美しさゆえに現代にまで伝えられたと言うことでしょうか.今では家庭薬に配合されるほかはあまり利用されません。