生薬には,薬用のみならず香辛料としても利用されるものが多数あります。中でも「胡椒」は刺激的な辛味と芳香があり,また食欲増進,消臭,殺菌,防腐効果などがあり,特に肉料理に欠かせない世界的な香辛料となっています。「胡椒」はインド原産ですが,ヨーロッパには既に紀元前400年ごろから知られていました。栽培の歴史も古く,紀元前1世紀ごろには東南アジアの熱帯地域で開始されたといわれています。名が示すように,中国へはインドから「胡」の国を経由して伝わりました。日本にはその後中国からもたらされ,『種々薬帳』に「胡椒」の名があり,正倉院薬物の中には当時の胡椒が現存しています。
原植物のコショウ Piper nigrum は茎が木本化する常緑のつる性植物で,節から根を出して他のものにからみつきながら生長します。果実は丸く,長い果序軸に房のように実り,果皮の色は,熟すにしたがって,緑から黄,赤へと変化します。果実の成熟度と採集後の調製方法の違いにより,「黒胡椒」と「白胡椒」に分けられます。「黒胡椒」は未成熟果実を果皮をつけたまま乾燥したもので,乾燥前に熱湯に漬けたり,火力乾燥でいぶして風味をつけることもあります。「白胡椒」は成熟した果実を袋に入れて流水中に一週間ほど浸し,果皮や果肉を洗い去って,残った種子を乾燥して製します。また「黒胡椒」の果皮と果肉を去ったものを「白胡椒」とすることもあります。薬用としては「黒胡椒」よりも「白胡椒」の方が優れているとされ,ともに大粒で気味の強いものが良品とされます。
中国においては,「胡椒」は『新修本草』に初めて収載され,「味が辛で大温,無毒である。気を下し,中を温め,痰を去り,臓腑中の風冷を除く。西戎に生じ,形は鼠李子のようで,食を調えるのに之を用いる。味は甚だ辛辣で芳香があるが蜀椒には及ばない」と記され,以後香辛料としても多用されてきました。『本草綱目』には薬用として「腸,胃をあたため,寒湿の反胃,虚脹,冷積,陰毒,牙歯の浮熱で痛むを除く」と述べられ,附方には,心腹冷痛,反胃吐食,夏期の冷瀉,大小便閉,寒邪の発散,風蟲牙痛などに対する多数の方法が記されています。一方,気味の項には「時珍曰く,辛,熱。純陽であって,気を走らせ,火を助け,目をくらくし,瘡を発する」と,多食すると害があることが記され,李時珍は実体験として「予は若いときから胡椒を好み,目を病んでも一向にそれと考えず,後に漸くその弊害に気付いて,ついに胡椒を絶つと,目病が止んだ。しかしわずかに1,2粒を食べるとすぐにまた目がみえにくくなった」と記しています。
日本では,薬用としては江戸時代に民間的に,「胡椒を虫歯につめる」「喘息に内服する」「小便不通に臍の下方に貼る」「鰹や鼈の中毒に内服する」「果物に中った場合に内服する」「毒虫や毒蛇に咬まれたときに粉をつける」などして利用されていました。また『和漢三才図会』には,「鼻孔に異物が入ったときに,胡椒によりくしゃみをすることで,異物を取り出す」という,ユニークな利用方法も紹介されています。香辛料としては和食に合わなかったのでしょうか,『庖厨備用倭名本草』に,「ただ吸口にこれを用いる。料理に用いることはまれである」とあります。また,江戸初期にはうどんの薬味として使用されていたようですが,次第に「唐辛子」に代わり,現在に至っているようです。『日本薬局方』には,明治39年に発布された第三改正で収載されましたが,昭和41年の第七改正の際に削除され,現在は収載されていません。
現在の日本では,胡椒は身近な調味料としてレストランのテーブルの上には必ずといっていいほど置かれ,一般家庭にも常備されている香辛料です。日本における胡椒の普及は,食生活が次第に西洋化し,肉を食べることが一般的になってきたことと深い関係があると思われます。調味料としてだけでなく,民間薬としても適切に活用できるよう見直したいものです。