ウリ科植物といえば、カボチャ、キュウリ、メロン、スイカなど、食用としてなじみのある植物が数多く見受けられます。薬用としてはさほど重要種はないようですが、化粧水として利用されるヘチマ水、スイカ糖、キュウリの蔓など、民間療法で利用されるものが多いようです。今回話題に取り上げました括楼根の原植物であるカラスウリの仲間(Trichosanthes 属)は、漢方生薬として根、果実、種子などが利用されていますが、わが国でも根の粉末は天瓜粉(天花粉)として利用されてきたものです。
「括楼根」は『神農本草経』の中品に「味苦寒主消渇身熱煩満大熱・・・」と、熱病による口渇などに効果がある生薬として収載されました。本生薬の原植物は『図経本草』の付図からは明らかに Trichosanthes 属のもので、大型で丸い果実から T.kirilowii が確かに1原植物と考えられます。一方、本種の根は現在中国では『中華人民共和国薬典』などに「天花粉」の名称で収載されています。いつの間にか名前が変わってしまっているのです。
「括楼」の名は李時珍によれば、「果ラ」(果物と瓜)の発音が転化して括楼となり、さらに瓜楼となったとされます。また「天瓜」の別名もあり、これは木によじのぼって地上高くに結実することに由来するものと考えられ、「天花」も同様の意味かと思われます。
一方、『図経本草』には括楼根とは別に経外草類の項に「明州天花粉」なるものが収載されていて、薬効は括楼根の『神農本草経』や『名医別録』の記載と同じになっています。しかし、付図は単葉、小花で、明らかに Trichosanthes 属ではなく、塊根を形成するという点を考慮するとオオスズメウリ(キバナカラスウリ)をはじめとする Thladiantha 属植物のように見えます。とすると、少なくとも宋代には括楼根と天花粉の原植物が違っていたことになります。採集時期に関しても括楼根は旧暦2月8月とされるのに対し、明州天花粉では11月12月の冬期であるとされ、このことは天花粉として良質のでん粉が得られる時期であると考えられます。
このように、天花粉の原植物はどこかで混乱してしまったことも考えられます。しかし、Thladiantha 属の花は「天花」と呼ぶにはあまりにも貧弱で、やはり「天花」の名は花が大型で辺縁が糸状に美しく切れ込む Trichosanthes 属にふさわしいように思います。当時すでに括楼根は天花粉の別名をもち、明州天花粉は地方的な代用品であったと考えるのが適当なのでしょうか。
唐代の『新修本草』には、括楼根を粉末にして利用することが記され、とくに葛粉と同様に製して得たでん粉は虚熱の人が食用するとよいとされていることから、本生薬は古来粉末を製して利用されてきたために天花粉の別名が生じたことが考えられます。それ故、次第にでん粉質に富むものが良品であると考えられるようになったのではないでしょうか。李時珍も採集時期に関して「夏季に掘ったものには筋があって粉がなく、用いるに堪えない」とでん粉の必要性を主張しています。括楼根の良質品が「色が白くて滑澤で筋の少ないもの」とされてきた所以でしょうか。明代の『本草蒙筌』では「天花粉即括楼根」と記され、また李時珍も括楼根と天花粉を別項にすることは誤りであるとして『本草綱目』では括楼根の項に天花粉を併せ入れました。この時代にはすでに両生薬がまったく同じものとして認識されていたようで、現在にまで至っているものと考えられます。ただ、性味が『神農本草経』で「苦寒」であったものが、後に「甘微苦酸」に変化していることは基源の変化を思わせ、原植物や利用方法などに関してはまだ論議の余地を残していそうです。
カラスからは黒色がイメージされますが、カラスウリの果実は赤く美しく熟し、キカラスウリは名のとおり黄色で、黒を思わせるものはどこにもありません。ただ、雪深い北陸では両種の果実は積雪時にカラスの餌になっているようで、古人はこのことに気付いていたのでしょうか。カラスウリの根を「土瓜根」として代用していた時期があったようですが、現在は全く市場性はありません。